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この人の奏でる音は、どうしてこんなに、人の心に染み入ってくるのだろう。人の気持ちを採さぶるものがあるのだろう。熱いものがこみあげてくる。しっとりとした優しい感情に包まれる。 |
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![]() 在日韓国人2世のヴァイオリニスト、ジョン・チャヌさんは、若くして、東京交響楽団、KBS交響楽団と、日韓両国の楽団でコンサートマスターをつとめ、現在は、ソリストとして、世界各地で活躍している。 チャヌさんは、1950年8月、おりしも朝鮮戦争の最中、岡山県に生まれた。母は、戦況に一喜一憂しながら出産したという。 ヴァイオリンを習い始めたのは5歳からだ。差別を受けないためには、手に職が必要という両親の意向で始めた。ヴァイオリンの練習は、すんなりと励んでいたが、チャヌさんには、どうしても違和感が拭えないことがあった。中学卒業までは、日本名で通していたことだ。「自分のアイデンティティを裏切っている感じ」がつきまとっていた。 高校生になって、韓国名に改めた。日本名を捨てるにあたっては、かなり葛藤もあった。幼い頃から「自分とは何か」「民族とは何か」と問い続けていたチャヌさんは、「芸術は、人の理想や夢、喜怒哀楽といった精神的なものを表現するものなのに、自分を偽っていたら話にならない」と思うに至った。 技術的な向上だけでなく、精袖的な追求をしながら、これを機に、音楽活動を本格的にやっていこうと決意したのであった。 日韓の懸け橋 |
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そして、音楽家としての生き方を再度、見つめ直そうと、日本に戻ることを決意した。この決断には、西暦2000年、50歳という節目も大きく作用した。日本と韓国、南と北の懸け橋になるには「在日」がいちばんと考えた。 日本に戻ってしばらくして、在日韓国人二世のジョン・チャヌさんにとって、深い意味を持つ出来事が起きた。 チャヌさんは、よく、二つの音を合わせ持っていると言われる。日本で演奏すると、「大陸的で大胆」と言われ、韓国で演奏すると、「とても繊細」と言われることがある。繊細な日本的なものと、大胆で韓国的なものを合わせたものを持っているということだろう。チャヌさんは自身は、「自分は二世だからハーフというのではなく、ダブルという気持ちを持っている」という。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画とは |
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