チャイコフスキーのアドバイス
2002年6月、上原彩子さんは、チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で優勝した。女性として、日本人として初の快挙を成し遂げた。
上原さんのスタートラインは、幼児音楽教室だった。3歳から通い始め、そこで、楽器や歌の楽しさに触れた。1980年香川県高松生まれ。小学校の1年生からは、岐阜の各務原に住んでいた。小学校4年生からは、たった一人で新幹線に乗り、岐阜から東京に通いレッスンを受けていた。譜面通りに弾けないというより、自分のイメージした音がうまく出ないといっては、悔し涙を流した。アイドルやゲームに熱中することもなかった。わき目もふらず、やめたいと思ったことは一度もなかった。
小学枚の卒業文集には、「ピアニストになりたい」とはっきり書いた。「いずれは世界一になりたい」という思いも抱いていた。チャイコフスキー国際コンクールも、当然、視野に入っていた。1992年、ドイツで開かれた15歳以下対象の国際コンクールで1位になったことも、大きな自信となった。
チャイコフスキー国際コンクールは、数ある世界的鋭模のコンクールの中でも、最も権威のあるものといわれている。しかし、1998年のコンクールでは、予選落ちした。
「緊張する舞台で弾くことで、自分の悪いところがわかった」と収穫を得た。自分の耳で自分の演奏を聞いて、これでは落ちて当然と思った。一心不乱に弾いているようで、もう一人の自分が審査員のように冷静に聞いている。これでなくては、一流になれないのかと私は唖然とした。
そしてその4年後の2002年、再度、チャイコフスキー国際コンクールに挑戦する。「大きなピアノを弾きこなすのは、体格で男性に劣る女性には不利」という声もある中、女性の繊細な感覚を、鍵盤上に表現していけば、大差はないはずと臨んだ。そして、女性で初めて、日本人でも初めてという栄冠を手にした。
コンクールが開かれたロシアの作曲家、チャイコフスキーが好きだ。心に強く訴えかけるものがある。曲のスケールも大きく、懐が深い感じがする。彼が生きていた土地で弾くことは大きな喜びだった。
「チャイコフスキーが、上原さんの演奏を聞いたら、こんな小柄な人が、どうしてこんな力強い演奏が出来るのか不思議に思うだろう」という人がいた。
それを、かたわらで聞いていた彼女は、「もし、チャイコフスキーに開いてもらえたら、アドバイスしてもらえたのに…」と答え、回りの人の笑いを誘った。計算づくでないユーモアも持ち合わせている。
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