|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||
長野県諏訪市に住む画家の原田泰治さんは、日本の素朴画家とも言われる。懐かしい故郷の光景を、叙情感あふれる絵にしている。 |
![]() |
|||||||||
![]() |
||||||||||
とうちゃんのトンネル 原田さんの父、武雄さんは、明治30年に生まれ、9年前に、96歳で亡くなった。看板書きの職人だった。子どもは二男二女。泰治さんは、末っ子で昭和15年に生まれた。 武雄さんは、とにかく、創意と工夫、根性と努力の人だった。その最たるエピソードを、原田さんは、絵本≪とうちゃんのとんねる≫に描いている。 ![]() 当時、嫁入りするときは、赤飯で祝った。自分の家で取れた米で作るのが慣わしだった。水田を作るのが極めて難しい地質だったので、とうちゃんは、おかぼ(陸稲)の栽培を試みたが、うまくいかなかった。結局、姉の嫁入りは、近所で借りた米で作った赤飯で、祝うことになった。その無念さも手伝って、涙涙の門出だった。 諦め切れないとうちゃんは、水脈を求めてトンネルを掘ることを決意した。とはいえ、水が出るのか出ないのか、何のあてもあることではなかった。来る日も来る日も、つるはし一本で、掘り続けた。原田さんも、学校帰りに、毎日、トンネルを見に行った。ある日、固い石にぶつかって、とうちゃんは、頭を抱えていた。 原田さんは、とうちゃんを、励まそうと、トンネルの中に木琴を持ち込んだ。木琴は、とうちゃんの手作りだった。「こぎつねコンコン山の中・・・」トンネルの中に、木琴の音が響いた。とうちゃんも喜んでくれた。これが功を奏したのか、その数日後、ついに、水脈を掘り当てたのだ。掘り当てたとうちゃんの水のおいしさは、今でも忘れられない。 諏訪に移り住んでからも原田さんは、苦しいことや、悲しいことがあると、伊賀良村に出掛ける。水はまだ涸れていない。水の音は、父の励ましの声に聞こえるそうだ。 「泰治にとって、最良の医者は伊賀良村の土、最良の薬は太陽」ととうちゃんは言っていた。適度な斜面が、格好の歩行訓練の場になった。杖一本を頼りに、真っ黒になって遊び回るうち、一時は、立ち上がることも歩くこともままならなかった足の状態も、しだいによくなっていった。 |
![]() |
|||||||||
とうちゃんのことば 人生の節目節目で、とうちゃんのことばが、ずいぶん励みとなった。 |
||||||||||
|
||||||||||
|
|||||
|
|||||
■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画とは |
|||||
![]() |
|||||
![]() |
||