まだ千葉大学の学生だったころ、三河島の都営アパート周辺のガキ大将の顔を撮影した。鼻水を垂らしながら駆け回るガキ大将たちの仲間になり、彼らと同じ目の高さで、一緒に飛び跳ねながら撮影した。子どもたちの歓声が聞こえてくるような写真だ。写真集『さっちん』は、第一回太陽賞を受けた。天才が世間に認知された第一歩であった。
銀座を闊歩する中年の女性たち、地下鉄車内の乗客、企業戦士の男たち・・・折りに触れて、荒木さんは、「顔」を撮影してきた。「その人の人生を複写する感覚」でひたすらシャッターを切った。
妻の陽子さんの「顔」もたくさん撮った。陽子さんは「埋もれていた本当の自分を発掘してくれた」「私の好きな自分を発見出来た」と言っている。
荒木さんも、相手の気づいていない素敵な部分をひっぱり出したいと思っている。恥ずかしがって表に出にくいところもひっぱり出したいと思っている。「いい顔」をひっぱり出すべく、相手の心をほぐすことばをかける。そして一瞬、自分を出した顔を撮る。
「最近は、水分を失っている顔が多いからね。湯気の立っている顔を撮りたい。気持ちの湯上がりを撮りたい」
そして、いま『日本人の顔』プロジェクトを立ち上げ、47都道府県全てを回り、数万人規模の顔を撮影する壮大な計画を進めている。いずれ、本格的に撮ろうと思っていたが、還暦を機に決心した。体力、気力が衰えないうちにと行動に移した。「還暦を過ぎて、人を慈しめるようになったのかな。自分の中の何かが変わった」
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■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。 |
「苦労したり、悲しんでいたりしても、生きていれば誰でも元気のもとが残っている。それを引き出して 元気づける。そうすると、こっちも元気になるんだ」
「幸福感に気づいてほしい。撮られる人も、写真見る人も。見ながら笑顔を取り戻してほしい。そしたら少しは日本が元気になるはず」
すでに、大阪、福岡、鹿児島と回った。
スタートの大阪の顔が気に入っている。「ああして、こうして」と、顔に自己主張があった。風土が顔を作る。生活が顔を作る。人間関係が顔を作る。
アラーキーの原点
荒木さんの父は、履物屋を営んでいた。何事にも凝り性で、店には、下駄の形をした大きな看板を作った。どこからでも目立った。今ならさしずめ、ポップアーティストだ。
しかし、家業よりは、趣味の写真に熱中した。仕入れに行っては、なかなか帰らず、写真を撮っていたという。毎月、仲間で、写真を見せ合う集まりも開いていた。踊りも尺八も習う趣味人だった。どうやら好奇心旺盛の遊び好きは、父譲りのようだ。
父の手伝いもよくやった。学校の修学旅行の記念写真を依頼された父についていったこともある。小学校5年の頃、日光東照宮で撮影した陽明門が、記憶に残る最初の撮影だという。
中学に入ると、「スナップは、のぶのほうがうまい」と褒めてくれ、父の代わりに撮影することも増えていった。写真を大学で学ぶことを勧めてくれたのも父だった。千葉大学工学部写真印刷工学科に入り、カメラ雑誌に投稿しては、毎月入選を果たしていた。
「被写体と見つめ合う時を撮るのが写真」「被写体との行ったり来たりのわくわく感を撮るのが写真」と教えてくれた父は、アラーキーの写真の師匠だった。
ピカチュウのようなヘアスタイル、丸いサングラスに、八の字ヒゲ。どこからでも目立つ。いつもときめて、わくわくしている。あらゆることに関心がある。四六時中、ファインダーをのぞいている。自分の写真集を抱いて寝ることもあるそうだ。「夢すらも撮りたい」という。
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