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綾戸智絵のステージを何と形容したらいいのだろう。常套句では形容出来ない。だが、エネルギッシュだとか、パワフルだとか、言い古されたことばしか出て来ない。そんなことばでは片付けられないような魔力がある。舞台は、次々飛び出すことばと音楽で、スコールに見舞われたようだ。そこには、何の理屈も入り込む余地がない。観客の心をわしづかみにして揺さぶる。浮世の憂さなど、どこかへ吹き飛んでしまう。 ジャズシンガーの綾戸智絵さんは、本人曰く、「エネルギー200%を使い切る」人生を送っている。「きっかけもチャンスも、とにかく動かないとつかめへん」「人間のパワーは、どこかにしまってあるものではなく、出てくるもんや。使いなはれ!」 波瀾万丈おもろい人生 |
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1957年の生まれ。大阪・阿倍野で育った。両親そろって、ジャズが大好きという家庭に育った。家には、いつもジャズ音楽が流れていた。3歳からクラシックピアノを習っていた綾戸さんに、両親は、ジャズをリクエストした。 綾戸さん自身も、友だちが郷ひろみや西城秀樹に熱中する傍らで、サッチモやシナトラにかぶれる風変わりな少女だった。ジャズを生んだ国アメリカにも興味を持った。 母の口癖は、「遊びも勉強も、何をするのも100%」だった。パーセンテージは、綾戸さんの半分だが・・・。 ![]() 17歳のとき、単身アメリカに行くと言ったときも、だまって見送ってくれた。見送りのせりふは、「死んだらあかんで。ごはん食べや」だけだった。 様々な職種のアルバイトをしながら、異国に溶け込んでいった。皿洗いのふりをして、ジャズクラブの舞台裏から、本場のジャズに耳を傾けた。やがて、ピアノの腕前を見込まれ、即興演奏に加わるようになった。名だたるミュージシャンのライブにも飛び入りで参加して、度胸をつけていった。ゴスペルにも引き付けられた。ゴスペルを歌う教会で出会ったアメリカ人男性と結婚した。 1990年、33歳のとき、出産直後に離婚して、子連れ帰国した。そのときも母親は、「ほれ見てみ!」「出戻り!」と言いつつ、嬉しそうだった。 生きるために、観光船のガイド、中学の給食係などの仕事をした。だが、ジャズはやめなかった。夜行バスで上京しては歌い続け、自主製作のCDも作った。 歌うことを諦めなかったことが、ジャズ界の重鎮に見いだされることになった。ずいぶん前から歌っているように思えるが、プロデビューは、1998年6月、40歳のときのことだ。デビューが、まだ5年前のことだとは信じられない。 |
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アメリカで知り合ったパートナーとの間に授かったイサくんの存在は、綾戸さんの中で、大きなウエイトを占めている。「イサが生まれたことは、偶然だったけど必然でもあったと思う」綾戸さんは、いつも偶然を必然にしたいと思って生きている。 綾戸さんは、自作の歌の中で、「人生、着飾らずに一緒にやっていこうよ」とイサくんに呼びかけている。 元気のオンパレード 綾戸さんが、突然、スタジオの中で、何かをつかむしぐさを始めた。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画とは |
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