海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
良寛あれこれ

 今回は、私事にわたって恐縮ですが、今年の1月に『慈愛の人 良寛』を出版した後、著者としての私が経験したことを中心に書きます。

@『慈愛の人 良寛』の反響
 いろいろな人から手紙を頂きました。3人の便りを紹介します。
 まず、京都大学の学生だった頃に親しく付き合っていた社会学者の加藤秀俊さん。50年前は教育学部の助手で、新進気鋭のマスメディア研究者として注目されていました。私より9歳年上で、現在81歳。老齢になられても『隠居学』など面白い本を次々と出版されており、知的好奇心旺盛なところは昔と少しも変わりません。
「前略 なん十年ぶりかでおたよりをいただき、びっくりしました。それにご著書『良寛』は大力作。まださいしょの二十ページくらいを拝読しただけですが、たのしみです。わたしのほうはだいぶジイサン、バアサンになりましたが、おかげさまで元気にしています。京都太秦時代に引っ越しの手つだいなどしていただいたことをなつかしく回想いたしました。杉本さんも奥付をみると悠々自適のようで安心しました。また折りをみておめにかかれる機会があれば、とたのしみにしています。とりいそぎ御礼まで」
 次は、大学時代の親友・阿川さんからの便り。彼は大阪で新聞記者をしていました。
「小さいとき〈良寛さま〉と親しみは感じていました。でも、どんな人かは知りませんでした。貴兄の御本でそんな〈良寛さま〉に時を越えて出会えたような気がしました。手まりの話をはじめ、その人となりや作品、良寛をめぐる人々の事など、実に分かりやすい記述に感心しました。貴兄の多角的な研究・考察が、やさしく、さりげなく、そしてきっちりと本の隅々まで行き届いています。それにしても、芭蕉、漱石、道元からドストエフスキー、モンテーニュ、ミレー、その他多くの人が登場し、多彩に記述されていることに大きな広がりが感じられました。知識と考察がかみ合って良寛の世界が輝いて見えるようです。本当に楽しく感心して読ませていただき、重ねてお礼を言いたいと思います」

 最後に、西尾市で小学校の教師をしているSさんからの手紙。
「まず私が読ませていただき、次に母が、そして母の友達が読ませていただきました。さらに『良寛』は、今は、今年からお世話になっている小学校の校長先生のもとに出張しています。『良寛』さんを読ませていただき、すっと杉本先生のお顔を思い出しました。私にとって、慈愛の人=杉本先生だと思うのです。五合庵に行ってみたくなりました。貞心尼という方の存在も、維馨尼という方の存在も初めて知りました」
 さて、全国良寛会という組織が新潟市にあります。日本のあちこちに「東京良寛会」とか「新潟良寛会」とか「小田原良寛会」といった、地域名と良寛会という名称の付いた会があります。その中心として全国良寛会があるのです。年に数回「良寛だより」という会報を出しています。その会報に、私の『慈愛の人 良寛』が次のように紹介されました。
「著者は京都大学文学部に入学したころから良寛を意識し、岩波文庫の『良寛詩集』などを読まれていたが、唐木順三の『良寛』を読んで一層親近感をいだき、以来『人生の師』としてその深遠な人間性に魅了されて生きてこられた。五年ほど前からある誌に書き綴ってこられた60回のエッセイを一冊にまとめたもの。画家のミレー、ゴッホ、思想家のモンテーニュやニーチェ、松尾芭蕉、夏目漱石、平沢興、山下清など古今東西の著名人との比較、考察は興味深い。子供が好きで35歳で小学校教師になった著者の永遠のテーマは、童心と慈愛なのだろう」
 さて、長い間取り組んできた仕事が一段落してホッとしています。こうして本の形にまとまってみると、苦心して産み出したこの最愛のわが子を、多くの人たちに見てもらいたい、可愛がってもらいたいという思いが強くなってきました。小さい声で宣伝します。まだ読んでいない人は、手にとって読んでみてください。豊川で国語教師をしていたKさんの手紙にこう書いてありました。「素晴らしいご著書なので、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います」。実直なKさんが言うのですから、この本は「一人でも多くの方に読んでいただきたい」ほどの「素晴らしい」本に違いありません。著者の私も、本当にいい本だと思っています。
 本のご注文は、この「ちたろまん」の発行所である「あかい新聞店」へお願いします。まだ残部が多少あると思いますので、早めにご購読ください。
A全国良寛会に出席して
 5月21日(土)に全国良寛会の総会が、新潟市内を流れる信濃川に架かる万代橋の袂のホテルオークラ新潟で開かれました。午後1時30分からの総会には出席せずに、2時30分からの記念講演から参加しました。
 「良寛と越後の文人たち」という演題で、大阪大学名誉教授で新潟市会津八一記念館館長の神林恒道という人が講演をしました。講演を聞いているうちに、この講師はどうやら京大文学部の私の一年先輩であることが分かってきました。そこで、夜の懇親会で、その講師の先生の席に行き、昔の思い出をなつかしく話し合いました。
 交流懇親会は、10名ほどが座れる円いテーブルが数多く会場に設置され、全国から来た数百名の参加者が和気あいあいと語り合っていました。私が指定されたテーブルには小田原良寛会と沼津良寛会の人たちがいました。私と同じ年頃で、とても親切な人たちばかりでした。すぐに打ち解けて、気楽に交流することができました。
 私のテーブルは、主賓のテーブルの隣でした。講師の先生とも話ができましたし、この会に参加する第一の目的であった柳本さんとも話ができました。この柳本さんは、良寛会の副会長でもあり、また良寛関係の本をたくさん出版している考古堂の社長でもあります。私が『慈愛の人 良寛』を出す時にいろいろ相談した恩人でもあるので、酔いが回らないうちにあいさつをしておこうと思って、多少緊張して話しかけました。しかし、とても温和な方で、堅苦しい気持ちはすぐに溶解しました。
 小心な私は、大勢の人たちが参加する会に出席するかどうか、長い間決めかねていました。しかし、良寛が好きだという一点で結ばれた人々と同席すると、すぐに心から楽しい気分になりました。なごやかな雰囲気の中で飲んだ名酒「越乃寒梅」はおいしかった。
B西尾市での講演
 6月6日(月)に西尾市の保護司会と更生保護女性会の合同研修会で講演しました。講演を打診されたのは、本が発行された1月でした。6月ということなので、まだまだ先の話だと思い、気楽に講師の依頼を承諾してしまいました。しかし、月日の経つのは早いもので、約束の日が近づいてきました。さあ、大変!「良寛と漱石」というテーマで話すことになっていました。資料作りから話し方の工夫まで、考えることが山ほどあり、さすがに食欲が無くなりかけました。しかし、大好きなビールを飲む量はますます増えました。
 うまく話せませんでしたが、知人の一人が「良かったよ」と言ってくれました。

【杉本武之プロフィール】

1939年 碧南市に生まれる。
京都大学文学部卒業。翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。25年間、西尾市の小中学校に勤務。定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。
(趣味)読書と競馬

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