その時、浮かんだのがヘーゲルでした。私はヘーゲルの普遍的理性の心はこの聖人たちが説いた隣人愛の心に違いないと思いました。よく分からないままにヘーゲル、ヘーゲルと言っていたのは、きっとそうだとどこかで確信していたからなのだと。そこで大同高校を早期退職をして、ヘーゲル哲学の権威である福吉勝男教授のいる、名古屋市立大学の人間文化研究科の博士課程に入学しました。ヘーゲル哲学を熟読し、隣人愛の心を身につけるためにです。
 この研究科への入学のお陰で、ヘーゲルの超難解な書『精神現象学』が理解できるようになりました。そこに何が書かれていたか。まさしく隣人愛の心で共存しようという思想が書かれているのでした。
 『精神現象学』はある意味で哲学史として書かれていますが、単に哲学史というのでなく、人間は自由を求めて生きてきましたが、その自由探究史としての哲学物語が書かれているのでした。
 ところが、なぜか人間は自由を求めながら不自由になるのでした。これをヘーゲルは人間疎外と言います。なぜなのか。これを問う中で、人間は隣人愛で生きることの大切さを自覚するに至ったとヘーゲルは言います。つまり自由を求めて不自由になるのは、自分の自由を求めるだけで、共存のみんなで幸せになる道を求めて来なかったからと人間は反省します。この人間とはカントやルソーのことです。このことを知ってヘーゲルは、自分だけでなくみんなで幸せになろう、これを求めて自由になることこそ、哲学の本当の課題だと言うに至ります。
 おう、これがヘーゲルだったのかと分かり、私は改めて感動しました。私が求めてきた哲学を、ヘーゲルが、私に先んじて論じていることを知り、私は余計感動しました。彼の思想は聖人の隣人愛の思想の上に立っています。
 しかし、ヘーゲルだけがこう説いているのでなく、哲学者と言われる人々はみなこう説いているのではないかと思い、哲学史を勉強し直しました。やはりみなこのように説いていました。
 そうこうするうちに、知多で立派と言われている人々は、自分だけの幸せでなく、みんなで幸せになることを願った人々ですので、彼らは哲学者ではないかと思えてきたので、「 ちたの哲学者たち」と銘打って研究することにしました。それが大当たり、彼らのすべてとは言いませんが、ほとんどが哲学者でした。自分だけでなくみんなで幸せになろうと努力した人であることが分かりました。(これについては、前の「知多の哲学散歩道」で 51回にわたって詳述)
 もちろんこれらの人々は、自分だけでなくみんなで幸せになろうの精神を仏教から学んでいますので、隣人愛でなく菩薩道ということになりますが、この意味で、仏教の菩薩道のすばらしさが見えてきたのでした。
 私はこのことを踏まえて、これから、「ちたから見た日本仏教-菩薩道物語-」のお話をします。つまり、彼らがどう菩薩道を仏教から学び、どう生きたかという話です。
 既に述べましたが17人研究しました。しかしこれからは新しい場面での既述になりますので、まず、17人の思想をかいつまんで紹介することから始めます。並べてみると、 実に壮観です。

                                                           (次号へつづく)
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 その時、浮かんだのがヘーゲルでした。私はヘーゲルの普遍的理性の心はこの聖人たちが説いた隣人愛の心に違いないと思いました。よく分からないままにヘーゲル、ヘーゲルと言っていたのは、きっとそうだとどこかで確信していたからなのだと。そこで大同高校を早期退職をして、ヘーゲル哲学の権威である福吉勝男教授のいる、名古屋市立大学の人間文化研究科の博士課程に入学しました。ヘーゲル哲学を熟読し、隣人愛の心を身につけるためにです。
 この研究科への入学のお陰で、ヘーゲルの超難解な書『精神現象学』が理解できるようになりました。そこに何が書かれていたか。まさしく隣人愛の心で共存しようという思想が書かれているのでした。
 『精神現象学』はある意味で哲学史として書かれていますが、単に哲学史というのでなく、人間は自由を求めて生きてきましたが、その自由探究史としての哲学物語が書かれているのでした。
 ところが、なぜか人間は自由を求めながら不自由になるのでした。これをヘーゲルは人間疎外と言います。なぜなのか。これを問う中で、人間は隣人愛で生きることの大切さを自覚するに至ったとヘーゲルは言います。つまり自由を求めて不自由になるのは、自分の自由を求めるだけで、共存のみんなで幸せになる道を求めて来なかったからと人間は反省します。この人間とはカントやルソーのことです。このことを知ってヘーゲルは、自分だけでなくみんなで幸せになろう、これを求めて自由になることこそ、哲学の本当の課題だと言うに至ります。
 おう、これがヘーゲルだったのかと分かり、私は改めて感動しました。私が求めてきた哲学を、ヘーゲルが、私に先んじて論じていることを知り、私は余計感動しました。彼の思想は聖人の隣人愛の思想の上に立っています。
 しかし、ヘーゲルだけがこう説いているのでなく、哲学者と言われる人々はみなこう説いているのではないかと思い、哲学史を勉強し直しました。やはりみなこのように説いていました。
 そうこうするうちに、知多で立派と言われている人々は、自分だけの幸せでなく、みんなで幸せになることを願った人々ですので、彼らは哲学者ではないかと思えてきたので、「 ちたの哲学者たち」と銘打って研究することにしました。それが大当たり、彼らのすべてとは言いませんが、ほとんどが哲学者でした。自分だけでなくみんなで幸せになろうと努力した人であることが分かりました。(これについては、前の「知多の哲学散歩道」で 51回にわたって詳述)
 もちろんこれらの人々は、自分だけでなくみんなで幸せになろうの精神を仏教から学んでいますので、隣人愛でなく菩薩道ということになりますが、この意味で、仏教の菩薩道のすばらしさが見えてきたのでした。
 私はこのことを踏まえて、これから、「ちたから見た日本仏教-菩薩道物語-」のお話をします。つまり、彼らがどう菩薩道を仏教から学び、どう生きたかという話です。
 既に述べましたが17人研究しました。しかしこれからは新しい場面での既述になりますので、まず、17人の思想をかいつまんで紹介することから始めます。並べてみると、 実に壮観です。

                                     (次号へつづく)
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 その時、浮かんだのがヘーゲルでした。私はヘーゲルの普遍的理性の心はこの聖人たちが説いた隣人愛の心に違いないと思いました。よく分からないままにヘーゲル、ヘーゲルと言っていたのは、きっとそうだとどこかで確信していたからなのだと。そこで大同高校を早期退職をして、ヘーゲル哲学の権威である福吉勝男教授のいる、名古屋市立大学の人間文化研究科の博士課程に入学しました。ヘーゲル哲学を熟読し、隣人愛の心を身につけるためにです。
 この研究科への入学のお陰で、ヘーゲルの超難解な書『精神現象学』が理解できるようになりました。そこに何が書かれていたか。まさしく隣人愛の心で共存しようという思想が書かれているのでした。
 『精神現象学』はある意味で哲学史として書かれていますが、単に哲学史というのでなく、人間は自由を求めて生きてきましたが、その自由探究史としての哲学物語が書かれているのでした。
 ところが、なぜか人間は自由を求めながら不自由になるのでした。これをヘーゲルは人間疎外と言います。なぜなのか。これを問う中で、人間は隣人愛で生きることの大切さを自覚するに至ったとヘーゲルは言います。つまり自由を求めて不自由になるのは、自分の自由を求めるだけで、共存のみんなで幸せになる道を求めて来なかったからと人間は反省します。この人間とはカントやルソーのことです。このことを知ってヘーゲルは、自分だけでなくみんなで幸せになろう、これを求めて自由になることこそ、哲学の本当の課題だと言うに至ります。
 おう、これがヘーゲルだったのかと分かり、私は改めて感動しました。私が求めてきた哲学を、ヘーゲルが、私に先んじて論じていることを知り、私は余計感動しました。彼の思想は聖人の隣人愛の思想の上に立っています。
 しかし、ヘーゲルだけがこう説いているのでなく、哲学者と言われる人々はみなこう説いているのではないかと思い、哲学史を勉強し直しました。やはりみなこのように説いていました。
 そうこうするうちに、知多で立派と言われている人々は、自分だけの幸せでなく、みんなで幸せになることを願った人々ですので、彼らは哲学者ではないかと思えてきたので、「 ちたの哲学者たち」と銘打って研究することにしました。それが大当たり、彼らのすべてとは言いませんが、ほとんどが哲学者でした。自分だけでなくみんなで幸せになろうと努力した人であることが分かりました。(これについては、前の「知多の哲学散歩道」で 51回にわたって詳述)
 もちろんこれらの人々は、自分だけでなくみんなで幸せになろうの精神を仏教から学んでいますので、隣人愛でなく菩薩道ということになりますが、この意味で、仏教の菩薩道のすばらしさが見えてきたのでした。
 私はこのことを踏まえて、これから、「ちたから見た日本仏教-菩薩道物語-」のお話をします。つまり、彼らがどう菩薩道を仏教から学び、どう生きたかという話です。
 既に述べましたが17人研究しました。しかしこれからは新しい場面での既述になりますので、まず、17人の思想をかいつまんで紹介することから始めます。並べてみると、 実に壮観です。

                (次号へつづく)