豊浜の海辺の広場、夜8時。太鼓と音頭出しの哀愁おびた須佐踊りが始まった。
 「わしの若い時は小お佐まで通うた 小佐の薬師堂で夜が明けた」の節・・、なんとアッチッチな!「東度合にお茶屋を建てて 女郎七、八人も抱えておいて上り下りの船を待つ」もっとアッチッチじゃないか!「須佐の港は遠浅なれど、私とあなたは深い仲」など、私には歌詞が艶でやかすぎた。
 もう一つ感じたのが、踊り手との掛け合い。楽譜で調べたらなんと、長さがほぼ半々。更にそこに、変則的な掛け合いが加わるのだ。
 踊り手がダレてくると
「囃子を知らんのか~」「囃子を知らんぞ~」「知らんが情なら~」をやり取りしながら次の節へ。
 逆に音頭出しがダレてくると「音頭出しゃ、ど~したんだい~」と踊り手が催促、音頭出しが上手ければ「音頭出しゃう~まいぞ~」などの掛け合いも楽しみながら、この1曲(42節確認)のみで朝4時頃まで踊りが続いたのだ。

 元禄の頃から唄い継がれるこの須佐踊り、掛け合いの頻度と長さが一級品のみならず、艶やかすぎる歌詞の中にあの『べらぼう』の江戸吉原との関係を示す節がある。
 「向こう通るは清十郎じゃないか・・」の節、これは豊浜の高浜出身の松本清十郎。
 同郷の仲間たちと江戸へ、吉原遊郭に尾張屋という揚屋を営み、最高級の格式・規模・客層のすべてを備えていたことから『揚屋清十郎』と呼ばれた人。華やかな江戸文化繁栄に関わった彼は、前述の節に出てきた『小佐の薬師堂』の中興や豊浜光明寺への寄進など多大の金を故郷に。
 更に「天神山から千両箱投げだした 須佐の港は金だらけ」の節は、〈江戸の税収の約8%が吉原〉であるのを踏まえると、彼は稼ぎ頭だったろうから納得がいく。

 今年の大河ドラマ『べらぼう』は揚屋清十郎が没して約80年後の吉原が舞台と計算できる。他にも衰退ぎみの、吉原の再興に尽力する花魁『瀬川』(小芝風花は私の激推し)を抱える妓楼の大見世松葉屋の主人 初代松葉屋半左衛門、出身地が今回の調べで分かった、蔦重の親も。

盆踊りの宵に思いを馳せよう・・。
                                      
伊藤 明德
Copyright©2003-2025 Akai Newspaper dealer
プライバシーポリシー
あかい新聞店・常滑店
新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務
電話:0569-35-2861
あかい新聞店・武豊店
電話:0569-72-0356
■この指とまれ
■PDFインデックス
■ちょっとおじゃまします                   
■元気の出てくることばたち
 豊浜の海辺の広場、夜8時。太鼓と音頭出しの哀愁おびた須佐踊りが始まった。
 「わしの若い時は小お佐まで通うた 小佐の薬師堂で夜が明けた」の節・・、なんとアッチッチな!「東度合にお茶屋を建てて 女郎七、八人も抱えておいて上り下りの船を待つ」もっとアッチッチじゃないか!「須佐の港は遠浅なれど、私とあなたは深い仲」など、私には歌詞が艶でやかすぎた。
 もう一つ感じたのが、踊り手との掛け合い。楽譜で調べたらなんと、長さがほぼ半々。更にそこに、変則的な掛け合いが加わるのだ。
 踊り手がダレてくると
「囃子を知らんのか~」「囃子を知らんぞ~」「知らんが情なら~」をやり取りしながら次の節へ。
 逆に音頭出しがダレてくると「音頭出しゃ、ど~したんだい~」と踊り手が催促、音頭出しが上手ければ「音頭出しゃう~まいぞ~」などの掛け合いも楽しみながら、この1曲(42節確認)のみで朝4時頃まで踊りが続いたのだ。

 元禄の頃から唄い継がれるこの須佐踊り、掛け合いの頻度と長さが一級品のみならず、艶やかすぎる歌詞の中にあの『べらぼう』の江戸吉原との関係を示す節がある。
 「向こう通るは清十郎じゃないか・・」の節、これは豊浜の高浜出身の松本清十郎。
 同郷の仲間たちと江戸へ、吉原遊郭に尾張屋という揚屋を営み、最高級の格式・規模・客層のすべてを備えていたことから『揚屋清十郎』と呼ばれた人。華やかな江戸文化繁栄に関わった彼は、前述の節に出てきた『小佐の薬師堂』の中興や豊浜光明寺への寄進など多大の金を故郷に。
 更に「天神山から千両箱投げだした 須佐の港は金だらけ」の節は、〈江戸の税収の約8%が吉原〉であるのを踏まえると、彼は稼ぎ頭だったろうから納得がいく。

 今年の大河ドラマ『べらぼう』は揚屋清十郎が没して約80年後の吉原が舞台と計算できる。他にも衰退ぎみの、吉原の再興に尽力する花魁『瀬川』(小芝風花は私の激推し)を抱える妓楼の大見世松葉屋の主人 初代松葉屋半左衛門、出身地が今回の調べで分かった、蔦重の親も。

 盆踊りの宵に思いを馳せよう・・。
                         
伊藤 明德
Copyright©2003-2025 Akai Newspaper dealer
プライバシーポリシー
あかい新聞店・常滑店
新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務
電話:0569-35-2861
あかい新聞店・武豊店
電話:0569-72-0356
 豊浜の海辺の広場、夜8時。太鼓と音頭出しの哀愁おびた須佐踊りが始まった。
 「わしの若い時は小お佐まで通うた 小佐の薬師堂で夜が明けた」の節・・、なんとアッチッチな!「東度合にお茶屋を建てて 女郎七、八人も抱えておいて上り下りの船を待つ」もっとアッチッチじゃないか!「須佐の港は遠浅なれど、私とあなたは深い仲」など、私には歌詞が艶でやかすぎた。
 もう一つ感じたのが、踊り手との掛け合い。楽譜で調べたらなんと、長さがほぼ半々。更にそこに、変則的な掛け合いが加わるのだ。
 踊り手がダレてくると
「囃子を知らんのか~」「囃子を知らんぞ~」「知らんが情なら~」をやり取りしながら次の節へ。
 逆に音頭出しがダレてくると「音頭出しゃ、ど~したんだい~」と踊り手が催促、音頭出しが上手ければ「音頭出しゃう~まいぞ~」などの掛け合いも楽しみながら、この1曲(42節確認)のみで朝4時頃まで踊りが続いたのだ。

 元禄の頃から唄い継がれるこの須佐踊り、掛け合いの頻度と長さが一級品のみならず、艶やかすぎる歌詞の中にあの『べらぼう』の江戸吉原との関係を示す節がある。
 「向こう通るは清十郎じゃないか・・」の節、これは豊浜の高浜出身の松本清十郎。
 同郷の仲間たちと江戸へ、吉原遊郭に尾張屋という揚屋を営み、最高級の格式・規模・客層のすべてを備えていたことから『揚屋清十郎』と呼ばれた人。華やかな江戸文化繁栄に関わった彼は、前述の節に出てきた『小佐の薬師堂』の中興や豊浜光明寺への寄進など多大の金を故郷に。
 更に「天神山から千両箱投げだした 須佐の港は金だらけ」の節は、〈江戸の税収の約8%が吉原〉であるのを踏まえると、彼は稼ぎ頭だったろうから納得がいく。

 今年の大河ドラマ『べらぼう』は揚屋清十郎が没して約80年後の吉原が舞台と計算できる。他にも衰退ぎみの、吉原の再興に尽力する花魁『瀬川』(小芝風花は私の激推し)を抱える妓楼の大見世松葉屋の主人 初代松葉屋半左衛門、出身地が今回の調べで分かった、蔦重の親も。

 盆踊りの宵に思いを馳せよう・・。

                    
伊藤 明德