MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
 モンゴルと言えば、近年は大相撲で活躍する力士のことを思い浮かべる人が多いかもしれない。筆者にとってはチンギス・ハーン(チンギス・ハン、チンギス・カンとも)の勇躍を連想する。13世紀には、現在ロシアの侵攻で緊迫のウクライナも支配下に置いた。一大帝国を樹立して800年の節目にあたる2006年の7月、初めてモンゴルを訪ねた。社会主義から資本主義へ大転換した国は、かつての英雄の復権を官民一体となって進めていた。今や日本の国技・大相撲を凌駕するモンゴルは「遠くて近い国」だった。四季があり、ともに仏教国であり、何より顔や体つきがよく似ている。日本の4倍もある広大な国を旅するには短い5日間だったが、首都・ウランバートルとその周辺、そしてかつての都・カラコルムへ赴き「兵(つわもの)たちの夢の跡」を駆け巡った。

建国800周年祝う騎馬イベント
 関西空港をJALの直行便で出発し、ソウルや北京の上空を通過して約4時間余、ウランバート空港に着いた。地図で見ても意外と近い。離陸前に眼下に広がるゴビ砂漠や、草原の中にある空港を見たかったが、夜行便でかなわなかった。
 到着後すぐに迎えのバスに乗り込んだが、車窓には暗闇が続く。宿泊のモンゴリアホテルは郊外にあった。夜が明けると、風景が一変していた。ここは紛れも無く海抜約1400メートルの草原の国だった。ホテルの高台からの眺めは四方に草原が広がり、山並みが遠望できた。狭い日本とは様変わりの光景に感動を覚えた。
 社会主義時代、チンギス・ハーンは「ロシアへの侵略者」として教育することすら禁じていたと聞く。今やチンギス・ハーンは、空港やホテル名、紙幣や酒のブランド名にも登場し、その英雄視は過剰とも思われた。首都の真ん中にある広場に巨大な座像が設置され、ウランバートル市内が一望できるザイサンの丘の丘陵地の山肌には、肖像画が白く浮かび上がるように石材で描かれていた。
 さらに社会主義時代に全く省みられなかったチンギス・ハーン時代の遺跡の発掘や保存にも力を入れているという。かつてオホーツク海からアドリア海にいたるユーラシア大陸の大部分を支配下におさめるという史上最大の国家を形成した輝ける時代を開いた英雄を再評価し、国威の発揚を促しているのであろう。
 「赤い英雄」の意味を持つウランバートルは今や160万都市。政治と宗教の中枢で、チベット様式のラマ教寺院の総本山、ガンダン寺(正式にはガンダンテグチンレン寺院)がある。もともとモンゴルの仏教はチベットより受け継いだ活仏思想に基づいている。ガンダン寺は第五代活仏が1838年に建立したお寺だ。
 境内には高さ26メートルの観音像のある観音堂を中心に、いくつもの寺院やストゥーパ(仏塔)、マニ車などがあった。極左政権時に機能が失われていたというが、現在は仏教大学も併設され宗教活動の拠点となっていた。多くのラマ僧が行き交い、マニ車を回し、五体投地する信者の姿も多く見受けた。

旧都跡のカラコルムは世界遺産登録
 2日目からカラコルムへ遠出した。都心部から30分も走ると一面の草原地帯に入る。沿道にはモンゴル特有の住居である白いゲルが点在している。広い敷地を板塀などで囲っているゲルも数多く見受けた。モンゴルでは1992年の民主化後、新憲法によって土地私有化の方向性が提示され、2003年から施行。居住を目的に都市周辺部に土地が与えられているそうだ。
 カラコルムまでは車で約6時間もかかった。車窓は、なだらかな緑の丘陵地が延々と続き、行けども行けども草の海だ。所々で馬や牛、羊や山羊、ラクダの放牧の姿が見られ、のどかな光景が眺められた。
 道路は一部の舗装を除いて大半がデコボコの道で、ドライブは快適といえない。道すがら丘の上などでオボーといわれる石積みの塚を見かけた。真ん中に棒を立て青い布を巻いており、使い古した松葉杖なども立てかけていた。道標であり、道中の安全を祈願したものであると思われた。
 ウランバートルから西へ400キロ、やがて車はウブルハンガイ県とアルハンガイ県にまたがるオルホン川流域へ。今は広大な草原地に1235年、第二代オゴタイ・ハーンによって築いた都があったという。この流域一帯の遺跡や史蹟群が2004年の世界遺産に登録された。
 遠くに白いゲルが規則正しく並んでいるのが見えてきた。その日宿泊予定のキャンプ地かと思われたが、近づくにつれ、草原の中に突如現れた寺院を取り巻く仏塔だった。この辺一帯がめざすカラコルム遺跡だった。
 その跡地に建てられた「エルデニ・ゾー寺院」をはじめ、1760年創建で医療所を兼ねた「ツゥブケン僧院」、8~9世紀のウイグル国の城郭都市跡「カラ・バルガスン遺跡」、八世紀半ばのチュルク国最盛期を築いた為政者兄弟を顕彰した「ビルケ・カガンとキョルテギンの石碑」などが散在している。
 この流域は、もともと肥沃な土地で、石器時代からモンゴル帝国時代まで、人々の暮らしの痕跡が認められ、狩猟生活を描いた岩壁画や人の顔を描いた石人像などが分布している。いつの日か、大がかりな発掘調査が実施されることであろう。
 モンゴル帝国最初の首都であるカラコルムの遺構は、南北1500メートル、東西1000メートルもあった。クビライ・ハーンが首都を大都に遷都した後も、14世紀半ばまでは繁栄したが、 現在この場所には当時の面影を伝える遺物はほとんど残っていない。
 「エルデニ・ゾー寺院」は翌日見学した。その日は宿泊するカラコルム地域のオコデイ地区のキャンプ地に向かった。ゲルは、内蒙古ではパオといい、ともに遊牧民たちの移動式住居だ。いま、都市部では定住の家屋が増えているが、住人たちはゲルと呼ぶ。
 宿泊したゲルは観光客用で、電気が通じている。夏でも夜から朝にかけ冷え込むためストーブも備えられていた。「快適な眠りを」と、簡易ベッドに横たわって飛び上がった。小さな虫が上から無数に落ちてくるのだ。消灯し布団にもぐりこんだが寝付かれなかった。ただ深夜、ゲルから抜け出し見上げた空に満天の星がきらめいていた。

遊牧民の営みに「心の文明度」
 モンゴルでは近年、首都のウランバートルの近代化が進み、定住する都市部の生活者が増え続けている。日本の4倍もの国土に人口はわずか340万人足らず。その半数近くが首都に住んでいる。何年間が続いた寒波で1000万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっており、従来の草原での遊牧生活者が激減しているという。
 建国800年を機に観光誘致が進み、ウランバートル近郊のテレルジでは観光乗馬も盛んになっている。今後、観光客目当ての商売も活発になると見込まれる。一方、都市部のホテルや地方での資源開発の名目で外国資本の進出が急増している。このため土地投機バブルが懸念される。
 帰国の飛行機の中で目を閉じると、カラコルム地域にある遊牧のゲルを訪ねたことが脳裏をかすめた。馬乳酒のもてなしを受け、馬にも乗せていただいた。素朴で純真な人たちの笑顔があった。そこに住む小学生は「片道2時間かけて馬に乗って学校に通っている」とはにかんだ。
 歴史の進展とは無関係な遊牧民たちの生活は、陽があるうちに働き、季節によって生活の場を変える、自然との共生だ。家族や家畜への思いやりや、電気のない生活に不便を感じない遊牧民たちは、私たち"自称文明人”より「心の文明度」が優れていると確信した。
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■この指とまれ
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■ちょっとおじゃまします                   
■元気の出てくることばたち
 モンゴルと言えば、近年は大相撲で活躍する力士のことを思い浮かべる人が多いかもしれない。筆者にとってはチンギス・ハーン(チンギス・ハン、チンギス・カンとも)の勇躍を連想する。13世紀には、現在ロシアの侵攻で緊迫のウクライナも支配下に置いた。一大帝国を樹立して800年の節目にあたる2006年の7月、初めてモンゴルを訪ねた。社会主義から資本主義へ大転換した国は、かつての英雄の復権を官民一体となって進めていた。今や日本の国技・大相撲を凌駕するモンゴルは「遠くて近い国」だった。四季があり、ともに仏教国であり、何より顔や体つきがよく似ている。日本の4倍もある広大な国を旅するには短い5日間だったが、首都・ウランバートルとその周辺、そしてかつての都・カラコルムへ赴き「兵(つわもの)たちの夢の跡」を駆け巡った。

建国800周年祝う騎馬イベント
 関西空港をJALの直行便で出発し、ソウルや北京の上空を通過して約4時間余、ウランバート空港に着いた。地図で見ても意外と近い。離陸前に眼下に広がるゴビ砂漠や、草原の中にある空港を見たかったが、夜行便でかなわなかった。
 到着後すぐに迎えのバスに乗り込んだが、車窓には暗闇が続く。宿泊のモンゴリアホテルは郊外にあった。夜が明けると、風景が一変していた。ここは紛れも無く海抜約1400メートルの草原の国だった。ホテルの高台からの眺めは四方に草原が広がり、山並みが遠望できた。狭い日本とは様変わりの光景に感動を覚えた。
 社会主義時代、チンギス・ハーンは「ロシアへの侵略者」として教育することすら禁じていたと聞く。今やチンギス・ハーンは、空港やホテル名、紙幣や酒のブランド名にも登場し、その英雄視は過剰とも思われた。首都の真ん中にある広場に巨大な座像が設置され、ウランバートル市内が一望できるザイサンの丘の丘陵地の山肌には、肖像画が白く浮かび上がるように石材で描かれていた。
 さらに社会主義時代に全く省みられなかったチンギス・ハーン時代の遺跡の発掘や保存にも力を入れているという。かつてオホーツク海からアドリア海にいたるユーラシア大陸の大部分を支配下におさめるという史上最大の国家を形成した輝ける時代を開いた英雄を再評価し、国威の発揚を促しているのであろう。
MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
 「赤い英雄」の意味を持つウランバートルは今や160万都市。政治と宗教の中枢で、チベット様式のラマ教寺院の総本山、ガンダン寺(正式にはガンダンテグチンレン寺院)がある。もともとモンゴルの仏教はチベットより受け継いだ活仏思想に基づいている。ガンダン寺は第五代活仏が1838年に建立したお寺だ。
 境内には高さ26メートルの観音像のある観音堂を中心に、いくつもの寺院やストゥーパ(仏塔)、マニ車などがあった。極左政権時に機能が失われていたというが、現在は仏教大学も併設され宗教活動の拠点となっていた。多くのラマ僧が行き交い、マニ車を回し、五体投地する信者の姿も多く見受けた。

旧都跡のカラコルムは世界遺産登録
 2日目からカラコルムへ遠出した。都心部から30分も走ると一面の草原地帯に入る。沿道にはモンゴル特有の住居である白いゲルが点在している。広い敷地を板塀などで囲っているゲルも数多く見受けた。モンゴルでは1992年の民主化後、新憲法によって土地私有化の方向性が提示され、2003年から施行。居住を目的に都市周辺部に土地が与えられているそうだ。
 カラコルムまでは車で約6時間もかかった。車窓は、なだらかな緑の丘陵地が延々と続き、行けども行けども草の海だ。所々で馬や牛、羊や山羊、ラクダの放牧の姿が見られ、のどかな光景が眺められた。
 道路は一部の舗装を除いて大半がデコボコの道で、ドライブは快適といえない。道すがら丘の上などでオボーといわれる石積みの塚を見かけた。真ん中に棒を立て青い布を巻いており、使い古した松葉杖なども立てかけていた。道標であり、道中の安全を祈願したものであると思われた。
 ウランバートルから西へ400キロ、やがて車はウブルハンガイ県とアルハンガイ県にまたがるオルホン川流域へ。今は広大な草原地に1235年、第二代オゴタイ・ハーンによって築いた都があったという。この流域一帯の遺跡や史蹟群が2004年の世界遺産に登録された。
 遠くに白いゲルが規則正しく並んでいるのが見えてきた。その日宿泊予定のキャンプ地かと思われたが、近づくにつれ、草原の中に突如現れた寺院を取り巻く仏塔だった。この辺一帯がめざすカラコルム遺跡だった。
 その跡地に建てられた「エルデニ・ゾー寺院」をはじめ、1760年創建で医療所を兼ねた「ツゥブケン僧院」、8~9世紀のウイグル国の城郭都市跡「カラ・バルガスン遺跡」、八世紀半ばのチュルク国最盛期を築いた為政者兄弟を顕彰した「ビルケ・カガンとキョルテギンの石碑」などが散在している。
 この流域は、もともと肥沃な土地で、石器時代からモンゴル帝国時代まで、人々の暮らしの痕跡が認められ、狩猟生活を描いた岩壁画や人の顔を描いた石人像などが分布している。いつの日か、大がかりな発掘調査が実施されることであろう。
 モンゴル帝国最初の首都であるカラコルムの遺構は、南北1500メートル、東西1000メートルもあった。クビライ・ハーンが首都を大都に遷都した後も、14世紀半ばまでは繁栄したが、 現在この場所には当時の面影を伝える遺物はほとんど残っていない。
 「エルデニ・ゾー寺院」は翌日見学した。その日は宿泊するカラコルム地域のオコデイ地区のキャンプ地に向かった。ゲルは、内蒙古ではパオといい、ともに遊牧民たちの移動式住居だ。いま、都市部では定住の家屋が増えているが、住人たちはゲルと呼ぶ。
 宿泊したゲルは観光客用で、電気が通じている。夏でも夜から朝にかけ冷え込むためストーブも備えられていた。「快適な眠りを」と、簡易ベッドに横たわって飛び上がった。小さな虫が上から無数に落ちてくるのだ。消灯し布団にもぐりこんだが寝付かれなかった。ただ深夜、ゲルから抜け出し見上げた空に満天の星がきらめいていた。

遊牧民の営みに「心の文明度」
 モンゴルでは近年、首都のウランバートルの近代化が進み、定住する都市部の生活者が増え続けている。日本の4倍もの国土に人口はわずか340万人足らず。その半数近くが首都に住んでいる。何年間が続いた寒波で1000万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっており、従来の草原での遊牧生活者が激減しているという。
 建国800年を機に観光誘致が進み、ウランバートル近郊のテレルジでは観光乗馬も盛んになっている。今後、観光客目当ての商売も活発になると見込まれる。一方、都市部のホテルや地方での資源開発の名目で外国資本の進出が急増している。このため土地投機バブルが懸念される。
 帰国の飛行機の中で目を閉じると、カラコルム地域にある遊牧のゲルを訪ねたことが脳裏をかすめた。馬乳酒のもてなしを受け、馬にも乗せていただいた。素朴で純真な人たちの笑顔があった。そこに住む小学生は「片道2時間かけて馬に乗って学校に通っている」とはにかんだ。
 歴史の進展とは無関係な遊牧民たちの生活は、陽があるうちに働き、季節によって生活の場を変える、自然との共生だ。家族や家畜への思いやりや、電気のない生活に不便を感じない遊牧民たちは、私たち"自称文明人”より「心の文明度」が優れていると確信した。
Copyright©2003-2025 Akai Newspaper dealer
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電話:0569-35-2861
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電話:0569-72-0356
 モンゴルと言えば、近年は大相撲で活躍する力士のことを思い浮かべる人が多いかもしれない。筆者にとってはチンギス・ハーン(チンギス・ハン、チンギス・カンとも)の勇躍を連想する。13世紀には、現在ロシアの侵攻で緊迫のウクライナも支配下に置いた。一大帝国を樹立して800年の節目にあたる2006年の7月、初めてモンゴルを訪ねた。社会主義から資本主義へ大転換した国は、かつての英雄の復権を官民一体となって進めていた。今や日本の国技・大相撲を凌駕するモンゴルは「遠くて近い国」だった。四季があり、ともに仏教国であり、何より顔や体つきがよく似ている。日本の4倍もある広大な国を旅するには短い5日間だったが、首都・ウランバートルとその周辺、そしてかつての都・カラコルムへ赴き「兵(つわもの)たちの夢の跡」を駆け巡った。

建国800周年祝う騎馬イベント
 関西空港をJALの直行便で出発し、ソウルや北京の上空を通過して約4時間余、ウランバート空港に着いた。地図で見ても意外と近い。離陸前に眼下に広がるゴビ砂漠や、草原の中にある空港を見たかったが、夜行便でかなわなかった。
 到着後すぐに迎えのバスに乗り込んだが、車窓には暗闇が続く。宿泊のモンゴリアホテルは郊外にあった。夜が明けると、風景が一変していた。ここは紛れも無く海抜約1400メートルの草原の国だった。ホテルの高台からの眺めは四方に草原が広がり、山並みが遠望できた。狭い日本とは様変わりの光景に感動を覚えた。
 社会主義時代、チンギス・ハーンは「ロシアへの侵略者」として教育することすら禁じていたと聞く。今やチンギス・ハーンは、空港やホテル名、紙幣や酒のブランド名にも登場し、その英雄視は過剰とも思われた。首都の真ん中にある広場に巨大な座像が設置され、ウランバートル市内が一望できるザイサンの丘の丘陵地の山肌には、肖像画が白く浮かび上がるように石材で描かれていた。
 さらに社会主義時代に全く省みられなかったチンギス・ハーン時代の遺跡の発掘や保存にも力を入れているという。かつてオホーツク海からアドリア海にいたるユーラシア大陸の大部分を支配下におさめるという史上最大の国家を形成した輝ける時代を開いた英雄を再評価し、国威の発揚を促しているのであろう。
 「赤い英雄」の意味を持つウランバートルは今や160万都市。政治と宗教の中枢で、チベット様式のラマ教寺院の総本山、ガンダン寺(正式にはガンダンテグチンレン寺院)がある。もともとモンゴルの仏教はチベットより受け継いだ活仏思想に基づいている。ガンダン寺は第五代活仏が1838年に建立したお寺だ。
 境内には高さ26メートルの観音像のある観音堂を中心に、いくつもの寺院やストゥーパ(仏塔)、マニ車などがあった。極左政権時に機能が失われていたというが、現在は仏教大学も併設され宗教活動の拠点となっていた。多くのラマ僧が行き交い、マニ車を回し、五体投地する信者の姿も多く見受けた。

旧都跡のカラコルムは世界遺産登録
 2日目からカラコルムへ遠出した。都心部から30分も走ると一面の草原地帯に入る。沿道にはモンゴル特有の住居である白いゲルが点在している。広い敷地を板塀などで囲っているゲルも数多く見受けた。モンゴルでは1992年の民主化後、新憲法によって土地私有化の方向性が提示され、2003年から施行。居住を目的に都市周辺部に土地が与えられているそうだ。
 カラコルムまでは車で約6時間もかかった。車窓は、なだらかな緑の丘陵地が延々と続き、行けども行けども草の海だ。所々で馬や牛、羊や山羊、ラクダの放牧の姿が見られ、のどかな光景が眺められた。
 道路は一部の舗装を除いて大半がデコボコの道で、ドライブは快適といえない。道すがら丘の上などでオボーといわれる石積みの塚を見かけた。真ん中に棒を立て青い布を巻いており、使い古した松葉杖なども立てかけていた。道標であり、道中の安全を祈願したものであると思われた。
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
MASAO SHIRATORI
 ウランバートルから西へ400キロ、やがて車はウブルハンガイ県とアルハンガイ県にまたがるオルホン川流域へ。今は広大な草原地に1235年、第二代オゴタイ・ハーンによって築いた都があったという。この流域一帯の遺跡や史蹟群が2004年の世界遺産に登録された。
 遠くに白いゲルが規則正しく並んでいるのが見えてきた。その日宿泊予定のキャンプ地かと思われたが、近づくにつれ、草原の中に突如現れた寺院を取り巻く仏塔だった。この辺一帯がめざすカラコルム遺跡だった。
 その跡地に建てられた「エルデニ・ゾー寺院」をはじめ、1760年創建で医療所を兼ねた「ツゥブケン僧院」、8~9世紀のウイグル国の城郭都市跡「カラ・バルガスン遺跡」、八世紀半ばのチュルク国最盛期を築いた為政者兄弟を顕彰した「ビルケ・カガンとキョルテギンの石碑」などが散在している。
 この流域は、もともと肥沃な土地で、石器時代からモンゴル帝国時代まで、人々の暮らしの痕跡が認められ、狩猟生活を描いた岩壁画や人の顔を描いた石人像などが分布している。いつの日か、大がかりな発掘調査が実施されることであろう。
 モンゴル帝国最初の首都であるカラコルムの遺構は、南北1500メートル、東西1000メートルもあった。クビライ・ハーンが首都を大都に遷都した後も、14世紀半ばまでは繁栄したが、 現在この場所には当時の面影を伝える遺物はほとんど残っていない。
 「エルデニ・ゾー寺院」は翌日見学した。その日は宿泊するカラコルム地域のオコデイ地区のキャンプ地に向かった。ゲルは、内蒙古ではパオといい、ともに遊牧民たちの移動式住居だ。いま、都市部では定住の家屋が増えているが、住人たちはゲルと呼ぶ。
 宿泊したゲルは観光客用で、電気が通じている。夏でも夜から朝にかけ冷え込むためストーブも備えられていた。「快適な眠りを」と、簡易ベッドに横たわって飛び上がった。小さな虫が上から無数に落ちてくるのだ。消灯し布団にもぐりこんだが寝付かれなかった。ただ深夜、ゲルから抜け出し見上げた空に満天の星がきらめいていた。

遊牧民の営みに「心の文明度」
 モンゴルでは近年、首都のウランバートルの近代化が進み、定住する都市部の生活者が増え続けている。日本の4倍もの国土に人口はわずか340万人足らず。その半数近くが首都に住んでいる。何年間が続いた寒波で1000万頭の家畜が死亡し遊牧民の生活が苦しくなっており、従来の草原での遊牧生活者が激減しているという。
 建国800年を機に観光誘致が進み、ウランバートル近郊のテレルジでは観光乗馬も盛んになっている。今後、観光客目当ての商売も活発になると見込まれる。一方、都市部のホテルや地方での資源開発の名目で外国資本の進出が急増している。このため土地投機バブルが懸念される。
 帰国の飛行機の中で目を閉じると、カラコルム地域にある遊牧のゲルを訪ねたことが脳裏をかすめた。馬乳酒のもてなしを受け、馬にも乗せていただいた。素朴で純真な人たちの笑顔があった。そこに住む小学生は「片道2時間かけて馬に乗って学校に通っている」とはにかんだ。
 歴史の進展とは無関係な遊牧民たちの生活は、陽があるうちに働き、季節によって生活の場を変える、自然との共生だ。家族や家畜への思いやりや、電気のない生活に不便を感じない遊牧民たちは、私たち"自称文明人”より「心の文明度」が優れていると確信した。