ここからは、森哲学信奉者を含め、皆さんと教育とは何かについて考えていきたいと思います。
 教職を辞して四半世紀になろうとしている今日、後輩たちの言によれば、「先生たちの時代とは様変わりですよ」と言います。私たちの時代には校内暴力が問題になっていましたが、粛々とは言わないけれど、学校が静かになったと言います。そして校長室には、「立腰教育」との額が掲示されているとのこと。ということは 立腰教育の貫徹によってこうなったことは明らかでしょう。
 私が現職の頃は、生徒を陶冶させることで、校内暴力を克服しようと努力しました。陶冶とは生徒が学問に目覚め、自らを向上させようとすることですが、この陶冶において校内暴力を克服しようとしました。校内暴力はまさに反陶冶ですので。
 「生徒の要望に応えてこそ教育」のスローガンを掲げ、「工業高校といえども大学に通じる教育を」を目指し、「学校は勉強する所であって、暴れる所ではないぞ」、「学校を出たらしっかり働けるようにしっかり勉強しよう」などと言って、勉強好きにさせる中でこの校内暴力を克服しようとしました。
 しかしこれだけではうまくいかなかったので、「形から入る」指導も必要ではないかということで、校則順守の指導を徹底したりしました。つまり立腰教育のまねごとをしたということです。それでもうまくいかず私たちは苦労しました。
 しかし、今や教育界から「校内暴力」の語は聞かれなくなりました。完全に一掃されたということでしょう。しかし「いじめ」や「不登校」、無気力、生徒の「自死」は逆に増えているとのこと。この事をどう考えたらいいのでしょうか。これを考えてみようと思うのです。
 私は立腰教育や躾三原則を間違っているとは思いません。学ぶ者にそれ相応の躾を求めるのは教育者として当然です。しかしだからと言って、無気力・無関心、やる気なしの不登校や「自死」の生徒を決して生み出していていいわけがありません。森哲学信奉者の先生方はこの事態をどう打開しようとしているのか。そして、上で述べたような私たちの努力は間違っていたのかも考えてみたい。
 森が『国と共に歩むもの』の中で述べた、「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神」を育む教育の実現こそが必要です。だから協力・共同しよう。今まで別個に歩んで来たのに、協力・共同と言われてもと思うかもしれません。私は皆さんに意見をいろいろ述べてもらいたいと思うのです。もちろん森哲学信奉者に限る必要はありません。すべての人に。こうなれば私たちも意見が述べやすくなります。皆さんからの反論もあるでしょう。こうしたことを繰り返しながら、協力・共同の場がつくっていけたらと思います。今のままでは日本の教育は絶対によくなるとは思えません。
 私は森の反共主義にとらわれ、森の生没年など基本的なことを書くことを失念してしまいましたので、改めて記します。生没年は(1896年?1992年)。武豊町生まれで半田市育ち。森は大変苦労した人です。愛知師範と広島高等師範を出て京都帝国大学に入学し、卒業後やっと天王寺師範の先生になりますが、35歳の時でした。そこで修身を教えます。小学校出の生徒に修身ですので教育に苦労しました。咀嚼されてはじめて哲学ということで、小学生にも分かる哲学を説き、『修身教授録』を確立します。しかし愛国心は国を守ることまでは正しかったが、国のために死ねと説いたのは誤りであったと森は反省します。が、この反省を後に森は撤回します。
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■この指とまれ
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■元気の出てくることばたち
 ここからは、森哲学信奉者を含め、皆さんと教育とは何かについて考えていきたいと思います。
 教職を辞して四半世紀になろうとしている今日、後輩たちの言によれば、「先生たちの時代とは様変わりですよ」と言います。私たちの時代には校内暴力が問題になっていましたが、粛々とは言わないけれど、学校が静かになったと言います。そして校長室には、「立腰教育」との額が掲示されているとのこと。ということは 立腰教育の貫徹によってこうなったことは明らかでしょう。
 私が現職の頃は、生徒を陶冶させることで、校内暴力を克服しようと努力しました。陶冶とは生徒が学問に目覚め、自らを向上させようとすることですが、この陶冶において校内暴力を克服しようとしました。校内暴力はまさに反陶冶ですので。
 「生徒の要望に応えてこそ教育」のスローガンを掲げ、「工業高校といえども大学に通じる教育を」を目指し、「学校は勉強する所であって、暴れる所ではないぞ」、「学校を出たらしっかり働けるようにしっかり勉強しよう」などと言って、勉強好きにさせる中でこの校内暴力を克服しようとしました。
 しかしこれだけではうまくいかなかったので、「形から入る」指導も必要ではないかということで、校則順守の指導を徹底したりしました。つまり立腰教育のまねごとをしたということです。それでもうまくいかず私たちは苦労しました。
 しかし、今や教育界から「校内暴力」の語は聞かれなくなりました。完全に一掃されたということでしょう。しかし「いじめ」や「不登校」、無気力、生徒の「自死」は逆に増えているとのこと。この事をどう考えたらいいのでしょうか。これを考えてみようと思うのです。
 私は立腰教育や躾三原則を間違っているとは思いません。学ぶ者にそれ相応の躾を求めるのは教育者として当然です。しかしだからと言って、無気力・無関心、やる気なしの不登校や「自死」の生徒を決して生み出していていいわけがありません。森哲学信奉者の先生方はこの事態をどう打開しようとしているのか。そして、上で述べたような私たちの努力は間違っていたのかも考えてみたい。
 森が『国と共に歩むもの』の中で述べた、「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神」を育む教育の実現こそが必要です。だから協力・共同しよう。今まで別個に歩んで来たのに、協力・共同と言われてもと思うかもしれません。私は皆さんに意見をいろいろ述べてもらいたいと思うのです。もちろん森哲学信奉者に限る必要はありません。すべての人に。こうなれば私たちも意見が述べやすくなります。皆さんからの反論もあるでしょう。こうしたことを繰り返しながら、協力・共同の場がつくっていけたらと思います。今のままでは日本の教育は絶対によくなるとは思えません。
 私は森の反共主義にとらわれ、森の生没年など基本的なことを書くことを失念してしまいましたので、改めて記します。生没年は(1896年?1992年)。武豊町生まれで半田市育ち。森は大変苦労した人です。愛知師範と広島高等師範を出て京都帝国大学に入学し、卒業後やっと天王寺師範の先生になりますが、35歳の時でした。そこで修身を教えます。小学校出の生徒に修身ですので教育に苦労しました。咀嚼されてはじめて哲学ということで、小学生にも分かる哲学を説き、『修身教授録』を確立します。しかし愛国心は国を守ることまでは正しかったが、国のために死ねと説いたのは誤りであったと森は反省します。が、この反省を後に森は撤回します。
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 ここからは、森哲学信奉者を含め、皆さんと教育とは何かについて考えていきたいと思います。
 教職を辞して四半世紀になろうとしている今日、後輩たちの言によれば、「先生たちの時代とは様変わりですよ」と言います。私たちの時代には校内暴力が問題になっていましたが、粛々とは言わないけれど、学校が静かになったと言います。そして校長室には、「立腰教育」との額が掲示されているとのこと。ということは 立腰教育の貫徹によってこうなったことは明らかでしょう。
 私が現職の頃は、生徒を陶冶させることで、校内暴力を克服しようと努力しました。陶冶とは生徒が学問に目覚め、自らを向上させようとすることですが、この陶冶において校内暴力を克服しようとしました。校内暴力はまさに反陶冶ですので。
 「生徒の要望に応えてこそ教育」のスローガンを掲げ、「工業高校といえども大学に通じる教育を」を目指し、「学校は勉強する所であって、暴れる所ではないぞ」、「学校を出たらしっかり働けるようにしっかり勉強しよう」などと言って、勉強好きにさせる中でこの校内暴力を克服しようとしました。
 しかしこれだけではうまくいかなかったので、「形から入る」指導も必要ではないかということで、校則順守の指導を徹底したりしました。つまり立腰教育のまねごとをしたということです。それでもうまくいかず私たちは苦労しました。
 しかし、今や教育界から「校内暴力」の語は聞かれなくなりました。完全に一掃されたということでしょう。しかし「いじめ」や「不登校」、無気力、生徒の「自死」は逆に増えているとのこと。この事をどう考えたらいいのでしょうか。これを考えてみようと思うのです。
 私は立腰教育や躾三原則を間違っているとは思いません。学ぶ者にそれ相応の躾を求めるのは教育者として当然です。しかしだからと言って、無気力・無関心、やる気なしの不登校や「自死」の生徒を決して生み出していていいわけがありません。森哲学信奉者の先生方はこの事態をどう打開しようとしているのか。そして、上で述べたような私たちの努力は間違っていたのかも考えてみたい。
 森が『国と共に歩むもの』の中で述べた、「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神」を育む教育の実現こそが必要です。だから協力・共同しよう。今まで別個に歩んで来たのに、協力・共同と言われてもと思うかもしれません。私は皆さんに意見をいろいろ述べてもらいたいと思うのです。もちろん森哲学信奉者に限る必要はありません。すべての人に。こうなれば私たちも意見が述べやすくなります。皆さんからの反論もあるでしょう。こうしたことを繰り返しながら、協力・共同の場がつくっていけたらと思います。今のままでは日本の教育は絶対によくなるとは思えません。
 私は森の反共主義にとらわれ、森の生没年など基本的なことを書くことを失念してしまいましたので、改めて記します。生没年は(1896年?1992年)。武豊町生まれで半田市育ち。森は大変苦労した人です。愛知師範と広島高等師範を出て京都帝国大学に入学し、卒業後やっと天王寺師範の先生になりますが、35歳の時でした。そこで修身を教えます。小学校出の生徒に修身ですので教育に苦労しました。咀嚼されてはじめて哲学ということで、小学生にも分かる哲学を説き、『修身教授録』を確立します。しかし愛国心は国を守ることまでは正しかったが、国のために死ねと説いたのは誤りであったと森は反省します。が、この反省を後に森は撤回します。