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(前号より)他民族を抑圧して憚らなかった。キリスト教が神の前の平等を説くのに、日本はタテの支配の関係に生きてきた。他方マルキシズムは社会的平等を志向し、キリスト教的愛のこの世での実現を目指している。しかし社会に進行する貧富の懸隔はキリスト教的教養だけでは不可能なので、そこで社会的変革の必要を考え、それの実現を目指している。戦前戦中の日本はこれらキリスト教とマルキシズムを頑なに否定してきた。これがいけなかった。
では、『修身教授録』には何が書かれていたのでしょうか。
置かれた状況を天命として謹んでお受けする態度が必要です。日本の国土に生まれたことを大きな喜びと考えるのでなければなりません。皇室の下で穏やかな生活ができるのは父母から受け継いだ血液のお陰です。こう思う心が愛国心です。それゆえ教師の使命は民族の運命を自覚する国民を創り出すことでなければなりません。つまり国家社会に役立ちたいと思う心の育成です。そしてその窮極は国家の急な時には国に殉じる心が肝心で、死なねばならぬ時には死ぬという心の育成が大切です。最高の生き方はたとえこの肉体が解体することがあっても、なお国家社会のために貢献する生き方をすることです。
ここには、学生たちが特攻に志願せざるを得なかった思想が述べられています。
こんな軍国少年を育てる教師の師(森は師範学校の先生でした)であったのですから、森は自己批判したのは当然でした。そして森は、「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神こそが封建的な旧き日本が新生する骨格となる」とまで言います。
しかし、森は突然にマルキシズムに対して決別を言い出すのです。この民主主義の課題をやるには、主体性をもってやり切るのでなければならないが、マルキシズムはそれを批判ばかりして育てていないからと言って。
しかし、この論理は間違っていると思います。戦後教育はマルキシズムが担ったのではないからです。端的に言えば担ったのは自民党を中核とした保守政権です。マルキシズムは日本国憲法精神の全面的実践を求める批判者の立場に立たされていただけですので。森が存命中もこの仕組みは微動だにしませんでした。
森が批判すべきは、保守政権がつくりだした民主主義の課題を実践しようとしないだらけた教育を第一に批判すべきだったと思うのですがどうでしょうか。なぜマルキシズムなのか。森哲学信奉者には是非教えていただきたい。
森はこの主体性のないだらけた教育を立て直す道として、「立腰教育」を主張します。シャンとさせるには腰骨を立てることが大切だと言って。そして「躾三原則」を唱え、これが人間の土台をつくると言います。
私もこの見解は大切と思います。後で詳しく問題にします。しかしこの提案にも、保守政権が進めている能力主義教育について何のコメントもないのです。この能力主義教育は受験教育が中心で、人間的陶冶としての「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神」の育成への思想は全くありません。これが非行をもたらし、教育を混乱させ、民主主義精神の育成を曖昧にしているのに。
立腰教育や 躾三原則で締めつけたら、生徒はおとなしくなり、学校は静かになるかもしれないが、これでいいのでしょうか。
※マルキシズム=マルクス主義 (次号へつづく)
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(前号より)他民族を抑圧して憚らなかった。キリスト教が神の前の平等を説くのに、日本はタテの支配の関係に生きてきた。他方マルキシズムは社会的平等を志向し、キリスト教的愛のこの世での実現を目指している。しかし社会に進行する貧富の懸隔はキリスト教的教養だけでは不可能なので、そこで社会的変革の必要を考え、それの実現を目指している。戦前戦中の日本はこれらキリスト教とマルキシズムを頑なに否定してきた。これがいけなかった。
では、『修身教授録』には何が書かれていたのでしょうか。
置かれた状況を天命として謹んでお受けする態度が必要です。日本の国土に生まれたことを大きな喜びと考えるのでなければなりません。皇室の下で穏やかな生活ができるのは父母から受け継いだ血液のお陰です。こう思う心が愛国心です。それゆえ教師の使命は民族の運命を自覚する国民を創り出すことでなければなりません。つまり国家社会に役立ちたいと思う心の育成です。そしてその窮極は国家の急な時には国に殉じる心が肝心で、死なねばならぬ時には死ぬという心の育成が大切です。最高の生き方はたとえこの肉体が解体することがあっても、なお国家社会のために貢献する生き方をすることです。
ここには、学生たちが特攻に志願せざるを得なかった思想が述べられています。
こんな軍国少年を育てる教師の師(森は師範学校の先生でした)であったのですから、森は自己批判したのは当然でした。そして森は、「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神こそが封建的な旧き日本が新生する骨格となる」とまで言います。
しかし、森は突然にマルキシズムに対して決別を言い出すのです。この民主主義の課題をやるには、主体性をもってやり切るのでなければならないが、マルキシズムはそれを批判ばかりして育てていないからと言って。
しかし、この論理は間違っていると思います。戦後教育はマルキシズムが担ったのではないからです。端的に言えば担ったのは自民党を中核とした保守政権です。マルキシズムは日本国憲法精神の全面的実践を求める批判者の立場に立たされていただけですので。森が存命中もこの仕組みは微動だにしませんでした。
森が批判すべきは、保守政権がつくりだした民主主義の課題を実践しようとしないだらけた教育を第一に批判すべきだったと思うのですがどうでしょうか。なぜマルキシズムなのか。森哲学信奉者には是非教えていただきたい。
森はこの主体性のないだらけた教育を立て直す道として、「立腰教育」を主張します。シャンとさせるには腰骨を立てることが大切だと言って。そして「躾三原則」を唱え、これが人間の土台をつくると言います。
私もこの見解は大切と思います。後で詳しく問題にします。しかしこの提案にも、保守政権が進めている能力主義教育について何のコメントもないのです。この能力主義教育は受験教育が中心で、人間的陶冶としての「日本国憲法が持つ人権の尊重を基盤とする民主主義の精神」の育成への思想は全くありません。これが非行をもたらし、教育を混乱させ、民主主義精神の育成を曖昧にしているのに。
立腰教育や 躾三原則で締めつけたら、生徒はおとなしくなり、学校は静かになるかもしれないが、これでいいのでしょうか。
※マルキシズム=マルクス主義 (次号へつづく)