私はこの「知多の哲学散歩道」に、森信三の思想を載せるかどうかで随分悩みました。
 森が哲学者であるのか、たんなる反共主義者であるか。森には哲学がないので、私には反共主義者だけのように思えます。しかし書くことにします。
 森が反共主義者であることは間違いないけれど、反共主義者であって哲学者である人は多くいます。しかし本当に森に哲学がないのか。ここの所を問題にしたいからなのです。
 私が森に惹かれたのは、彼の思想においてではなく、彼が知多や愛知県はおろか全国的に有名で、教育哲学者の名をほしいままにしているので、きっと素晴らしい哲学思想を述べているに違いないという思いから、惹かれたのでした。
 私は「知多の哲学者シリーズ」と銘打ち、知多の哲学者たちの思想発掘に努めてまいりました。谷川徹三の次にこの森信三を研究しました。その時、肝心の哲学思想がなく、困ってしまったことを覚えていますが、2012年発行の『知多の哲学者たち』(ほっとブックス新栄)で、あの様な形でまとめました。
 しかし、あれから十数年たった今も、森に哲学がないという思いに変わりがありませんが、どうして哲学者として書くのか。私が哲学がないと断定する箇所を、そうではないよ、これが森哲学だよと言って、森哲学信奉者に教えていただける場となることを願ってです。今や教育界を席巻してやまない森信三です。その彼を無視しての論はよくないでしょう。
 森は京都帝国大学を卒業後、天王寺師範学校の教師になりますが、ここでの講義録をまとめて『修身教授録』(1938)を出版します。翌年満洲の建国大学に赴任し、そこで『修身教授録』を本にした道徳論を展開します。
 しかし、やがて日本が戦争に負け、この『修身教授録』は間違っていたと森は反省します。『国と共に歩むもの』(1947)の中で反省します。
 この戦争が「宇宙の根本原理から外れた戦争」であったのに、聖戦とし、この戦争に志願させ多くの子弟を死なせた自分を反省したのでした。「絶対不可避なることはすなわち絶対に必然だから、これを天意として努力せよ」と説いて。「国に感謝報恩の気持ちを持て」とか、「真理の自証には恩寵的試練を伴う」と言って、子弟に戦争の決意をさせたことを強く反省したのでした。「真理は現実の中にあり」とまで言い。
 森は、「一億総懺悔」などと誤魔化してはいけない。国の指導者が間違った道を進んだことは間違いないが、それを支え煽った自分にも責任はあるわけで、それを曖昧にしてはいけないとして反省したのでした。
 しかし、森は、『修身教授録』を1989年に、「?現代に甦る人間学の要諦?」とサブタイトルを付け再刊させたのでした。
 この先祖返りと言うか、何を考えこうしたのか、私には全く理解できません。『国と共に歩むもの』の中で反省したのは何だったのか。私が冒頭で述べた、森は哲学者なのかという疑問は、こう反省したのに、反省した思想を何のコメントも付けずに復刊させた態度を指して言ったのです。森哲学信奉者にはまずこの疑問に答えてもらいたい。
 森は『国と共に歩むもの』の中で、以下のようにも言っています。
 私はキリスト教とマルキシズムを頑なに否定してきたが、これが一番間違っていたと思う。キリスト教は・・神教の世界宗教を説き、最後の審判を信じ、神と共に生きることを旨とするが、日本は祖先神としての民族神を絶対神と勝手に思い、
(次号に続く)
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■この指とまれ
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■ちょっとおじゃまします                   
■元気の出てくることばたち
 私はこの「知多の哲学散歩道」に、森信三の思想を載せるかどうかで随分悩みました。
 森が哲学者であるのか、たんなる反共主義者であるか。森には哲学がないので、私には反共主義者だけのように思えます。しかし書くことにします。
 森が反共主義者であることは間違いないけれど、反共主義者であって哲学者である人は多くいます。しかし本当に森に哲学がないのか。ここの所を問題にしたいからなのです。
 私が森に惹かれたのは、彼の思想においてではなく、彼が知多や愛知県はおろか全国的に有名で、教育哲学者の名をほしいままにしているので、きっと素晴らしい哲学思想を述べているに違いないという思いから、惹かれたのでした。
 私は「知多の哲学者シリーズ」と銘打ち、知多の哲学者たちの思想発掘に努めてまいりました。谷川徹三の次にこの森信三を研究しました。その時、肝心の哲学思想がなく、困ってしまったことを覚えていますが、2012年発行の『知多の哲学者たち』(ほっとブックス新栄)で、あの様な形でまとめました。
 しかし、あれから十数年たった今も、森に哲学がないという思いに変わりがありませんが、どうして哲学者として書くのか。私が哲学がないと断定する箇所を、そうではないよ、これが森哲学だよと言って、森哲学信奉者に教えていただける場となることを願ってです。今や教育界を席巻してやまない森信三です。その彼を無視しての論はよくないでしょう。
 森は京都帝国大学を卒業後、天王寺師範学校の教師になりますが、ここでの講義録をまとめて『修身教授録』(1938)を出版します。翌年満洲の建国大学に赴任し、そこで『修身教授録』を本にした道徳論を展開します。
 しかし、やがて日本が戦争に負け、この『修身教授録』は間違っていたと森は反省します。『国と共に歩むもの』(1947)の中で反省します。
 この戦争が「宇宙の根本原理から外れた戦争」であったのに、聖戦とし、この戦争に志願させ多くの子弟を死なせた自分を反省したのでした。「絶対不可避なることはすなわち絶対に必然だから、これを天意として努力せよ」と説いて。「国に感謝報恩の気持ちを持て」とか、「真理の自証には恩寵的試練を伴う」と言って、子弟に戦争の決意をさせたことを強く反省したのでした。「真理は現実の中にあり」とまで言い。
 森は、「一億総懺悔」などと誤魔化してはいけない。国の指導者が間違った道を進んだことは間違いないが、それを支え煽った自分にも責任はあるわけで、それを曖昧にしてはいけないとして反省したのでした。
 しかし、森は、『修身教授録』を1989年に、「?現代に甦る人間学の要諦?」とサブタイトルを付け再刊させたのでした。
 この先祖返りと言うか、何を考えこうしたのか、私には全く理解できません。『国と共に歩むもの』の中で反省したのは何だったのか。私が冒頭で述べた、森は哲学者なのかという疑問は、こう反省したのに、反省した思想を何のコメントも付けずに復刊させた態度を指して言ったのです。森哲学信奉者にはまずこの疑問に答えてもらいたい。
 森は『国と共に歩むもの』の中で、以下のようにも言っています。
 私はキリスト教とマルキシズムを頑なに否定してきたが、これが一番間違っていたと思う。キリスト教は・・神教の世界宗教を説き、最後の審判を信じ、神と共に生きることを旨とするが、日本は祖先神としての民族神を絶対神と勝手に思い、
(次号に続く)
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 私はこの「知多の哲学散歩道」に、森信三の思想を載せるかどうかで随分悩みました。
 森が哲学者であるのか、たんなる反共主義者であるか。森には哲学がないので、私には反共主義者だけのように思えます。しかし書くことにします。
 森が反共主義者であることは間違いないけれど、反共主義者であって哲学者である人は多くいます。しかし本当に森に哲学がないのか。ここの所を問題にしたいからなのです。
 私が森に惹かれたのは、彼の思想においてではなく、彼が知多や愛知県はおろか全国的に有名で、教育哲学者の名をほしいままにしているので、きっと素晴らしい哲学思想を述べているに違いないという思いから、惹かれたのでした。
 私は「知多の哲学者シリーズ」と銘打ち、知多の哲学者たちの思想発掘に努めてまいりました。谷川徹三の次にこの森信三を研究しました。その時、肝心の哲学思想がなく、困ってしまったことを覚えていますが、2012年発行の『知多の哲学者たち』(ほっとブックス新栄)で、あの様な形でまとめました。
 しかし、あれから十数年たった今も、森に哲学がないという思いに変わりがありませんが、どうして哲学者として書くのか。私が哲学がないと断定する箇所を、そうではないよ、これが森哲学だよと言って、森哲学信奉者に教えていただける場となることを願ってです。今や教育界を席巻してやまない森信三です。その彼を無視しての論はよくないでしょう。
 森は京都帝国大学を卒業後、天王寺師範学校の教師になりますが、ここでの講義録をまとめて『修身教授録』(1938)を出版します。翌年満洲の建国大学に赴任し、そこで『修身教授録』を本にした道徳論を展開します。
 しかし、やがて日本が戦争に負け、この『修身教授録』は間違っていたと森は反省します。『国と共に歩むもの』(1947)の中で反省します。
 この戦争が「宇宙の根本原理から外れた戦争」であったのに、聖戦とし、この戦争に志願させ多くの子弟を死なせた自分を反省したのでした。「絶対不可避なることはすなわち絶対に必然だから、これを天意として努力せよ」と説いて。「国に感謝報恩の気持ちを持て」とか、「真理の自証には恩寵的試練を伴う」と言って、子弟に戦争の決意をさせたことを強く反省したのでした。「真理は現実の中にあり」とまで言い。
 森は、「一億総懺悔」などと誤魔化してはいけない。国の指導者が間違った道を進んだことは間違いないが、それを支え煽った自分にも責任はあるわけで、それを曖昧にしてはいけないとして反省したのでした。
 しかし、森は、『修身教授録』を1989年に、「?現代に甦る人間学の要諦?」とサブタイトルを付け再刊させたのでした。
 この先祖返りと言うか、何を考えこうしたのか、私には全く理解できません。『国と共に歩むもの』の中で反省したのは何だったのか。私が冒頭で述べた、森は哲学者なのかという疑問は、こう反省したのに、反省した思想を何のコメントも付けずに復刊させた態度を指して言ったのです。森哲学信奉者にはまずこの疑問に答えてもらいたい。
 森は『国と共に歩むもの』の中で、以下のようにも言っています。
 私はキリスト教とマルキシズムを頑なに否定してきたが、これが一番間違っていたと思う。キリスト教は・・神教の世界宗教を説き、最後の審判を信じ、神と共に生きることを旨とするが、日本は祖先神としての民族神を絶対神と勝手に思い、
(次号に続く)