Copyright©2003-2024 Akai Newspaper dealer
プライバシーポリシー
あかい新聞店・常滑店
新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務
電話:0569-35-2861
あかい新聞店・武豊店
電話:0569-72-0356
赤道近く大自然が広がるマレーシアは、マレー半島と世界最古の熱帯雨林が広がるボルネオ島北部から成り立っている。近年、急テンポで近代化が進むとともに、東南アジアの中でも指折りのリゾート地として注目される。一方で、多民族国家であり、民族や宗教など文化の多様性にあふれる。2008年3月に初めて訪れ、首都クアラルンプールを観光し、リゾート地のペナン島にも宿泊した。再訪の機会があれば、「海のシルクロード」の要衝の地、マラッカに行ってみたいと思っていた。東西を結ぶ交易経路であるユーラシア大陸のオアシスの道を断続的に旅してきただけに、関心があった。9年後の2017年5月に実現した。そのマラッカをはじめ、クアラルンプールやペナン島をリポートする。
「海のシルクロード」の名残の街マラッカ
関西空港から直行便で約5時間半、夕刻にマレーシアへ。到着したクアラルンプール空港は1998年に開港したアジアのハブ空港で、成田の14倍の広さを持つ。「森の中の空港、空港の中の森」をコンセプトに、故黒川紀章氏がターミナルビルを含む全体計画を設計し、メインターミナルを大成建設、サテライトを竹中工務店が施工した。
「海のシルクロード」は、東アジアとヨーロッパを結ぶ海上の交易路だ。中国の華南を発して、南シナ海に面するベトナムやタイ、マレー半島、マラッカ海峡を抜け、インド洋、ペルシャ湾海沿いのインド、イラン、アラビア各国を経て、さらに紅海から地中海へ連なり、トルコやギリシャ、イタリアへと広がり、「陸のシルクロード」をしのぐ遥かなルートである。
マラッカはクアラルンプールの南東約130キロに位置する港湾都市だ。2008年に世界遺産に登録されている。14世紀末、この地に興ったマラッカ王国は、インド、中国、アラブ諸国との香辛料の貿易で栄えた。16世紀以降は、マラッカ海峡に面する地理的条件の良さから、ポルトガル、オランダ、イギリスなどヨーロッパの列強国が、この地を東西貿易の拠点とすべく相次いで支配した。
マラッカのトコン通りの街に入ると、まるで中華街の雰囲気。漢字の看板を見ながら歩いていると青雲亭と呼ばれる独特な屋根をいただく色彩豊かな寺があった。道教のお寺があれば、すぐ近くにイスラム教のモスク…、そしてキリスト教会も。それぞれの建物が異なり、多民族国家ならではの光景が広がる。まさに多様な宗教が混在する。
オランダ広場から坂を登った丘の上にセントポール教会跡が残る。マラッカ王朝を駆逐し,占領したポルトガルが1521年に建立したカトリック教会だったそうだ。教会内の金網の覆いの下に、1552年に亡くなったフランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置されていたという。
MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
風景を変える首都クアラルンプールの都市化
首都クアラルンプールは、中国人の移民によって、錫の採掘拠点として1857年に開発された。その後1873~1957年、イギリスに支配され、錫とゴムの産出で発展した。クアラルンプールの人口は現在約200万人程度だが、首都圏は年3%の増加見込みで、2030年には980万人を見込む。シンガポールやバンコクと並び東南アジア有数の大都市だ。ちなみに国土面積は日本よりひとまわり小さい約33万平方キロで、そのうち60パーセントがジャングルなのに人口は3372万人(2023年マレーシア統計局)にも及ぶ。
クアラルンプールに連泊し、昼と夜の街を堪能した。近代都市を象徴するのがペトロナス・ツインタワーだ。89階建て452メートルで、完成した1998年当時は世界一だった。ツインの一つは日本の間組、もう一つが韓国企業が建設し、41階に架かる連絡橋がフランスの建設会社が手がけた。タワーの低層部分がショッピング・モールになっていて、その吹き抜けの空間が見事だ。タワーの前庭が市民の憩いの場で、ライトアップの噴水が色とりどりの光彩を放ちすばらしい。
「東洋の真珠」ペナン島は指折りのリゾート地
2008年の旅で2日間滞在したペナン島のことも書き添えておく。マラッカ海峡の入り口に浮かぶペナン島は、南北24キロ、東西15キロもあり、風光に恵まれ「東洋の真珠」と謳われた美しい島で、タイのプーケット島と並ぶリゾート地だ。
スルタンによる長い統治の後には、イギリスが進出。18世紀後半には植民地として支配をした。戦時中は日本軍が占領し、1957年になってマラヤ連邦に参加。現在は対岸のバタワース地区とペナン州を形成、マレーシアの中核都市の地位を築いている。
ペナン島は、日本人のロングステイ先としても急増している。かつてハワイやオーストラリアだったが、いまや最も多いのがマレーシアであり、中でもペナン島が人気という。それもそのはず気温は年中24度から32度で、1年を通しTシャツと短パンで過ごせる。それでいて物価は日本よりかなり低水準であり、治安もよく日本語の話せるスタッフが常駐する病院があるなど施設も整備されているからだ。
私が宿泊したリゾートホテルで衣類を販売していた元日本商社マンのマレーシア人は「アパート・マンションから一軒家まで予算に応じ好みのタイプがあります。仮にホテル住まいにしても2人1室、朝食付きで20万円足らずです」と、しきりにロングステイを勧誘された。
マレーシアと言えば、いくつかの事件を思い出す。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が訪問した2017年4月、マレーシア空港で殺された事件が生々しい。その一部始終が監視カメラに捉えられ、連日テレビニュースで報じられた。しかし結局、マレーシア政府は、遺体の北朝鮮移送を承認し、この事件の真相は闇に葬られた。
日本は第二次世界大戦で約3年間も占領し、1975年に日本赤軍が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら約50人の人質事件もあった。日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求したテロ事件で、当時の三木内閣がテロリストの要求に屈し、「超法規的措置」として5人を解放した。遠く離れた国とはいえ、歴史的な関わりは深い。マレーシアの政治的な動向や出来事に、無関心であってはならないと痛感した。
2度のマレーシア渡航で、マレー半島のかなり広域な地域をカバーできた。クアラルンプールの都市化をはじめ経済発展を遂げ、先進国への仲間入りを目指しているのが、十分に理解しえた。その一方で、豪華な新王宮や、首相官邸など政府機関を集結させた壮大な「プトラジャヤ」を建設し、外観が変貌するマレーシアの内実にも思いを馳せる旅でもあった。
Copyright©2003-2024 Akai Newspaper dealer
プライバシーポリシー
あかい新聞店・常滑店
新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務
電話:0569-35-2861
あかい新聞店・武豊店
電話:0569-72-0356
赤道近く大自然が広がるマレーシアは、マレー半島と世界最古の熱帯雨林が広がるボルネオ島北部から成り立っている。近年、急テンポで近代化が進むとともに、東南アジアの中でも指折りのリゾート地として注目される。一方で、多民族国家であり、民族や宗教など文化の多様性にあふれる。2008年3月に初めて訪れ、首都クアラルンプールを観光し、リゾート地のペナン島にも宿泊した。再訪の機会があれば、「海のシルクロード」の要衝の地、マラッカに行ってみたいと思っていた。東西を結ぶ交易経路であるユーラシア大陸のオアシスの道を断続的に旅してきただけに、関心があった。9年後の2017年5月に実現した。そのマラッカをはじめ、クアラルンプールやペナン島をリポートする。
「海のシルクロード」の名残の街マラッカ
関西空港から直行便で約5時間半、夕刻にマレーシアへ。到着したクアラルンプール空港は1998年に開港したアジアのハブ空港で、成田の14倍の広さを持つ。「森の中の空港、空港の中の森」をコンセプトに、故黒川紀章氏がターミナルビルを含む全体計画を設計し、メインターミナルを大成建設、サテライトを竹中工務店が施工した。
「海のシルクロード」は、東アジアとヨーロッパを結ぶ海上の交易路だ。中国の華南を発して、南シナ海に面するベトナムやタイ、マレー半島、マラッカ海峡を抜け、インド洋、ペルシャ湾海沿いのインド、イラン、アラビア各国を経て、さらに紅海から地中海へ連なり、トルコやギリシャ、イタリアへと広がり、「陸のシルクロード」をしのぐ遥かなルートである。
マラッカはクアラルンプールの南東約130キロに位置する港湾都市だ。2008年に世界遺産に登録されている。14世紀末、この地に興ったマラッカ王国は、インド、中国、アラブ諸国との香辛料の貿易で栄えた。16世紀以降は、マラッカ海峡に面する地理的条件の良さから、ポルトガル、オランダ、イギリスなどヨーロッパの列強国が、この地を東西貿易の拠点とすべく相次いで支配した。
マラッカのトコン通りの街に入ると、まるで中華街の雰囲気。漢字の看板を見ながら歩いていると青雲亭と呼ばれる独特な屋根をいただく色彩豊かな寺があった。道教のお寺があれば、すぐ近くにイスラム教のモスク…、そしてキリスト教会も。それぞれの建物が異なり、多民族国家ならではの光景が広がる。まさに多様な宗教が混在する。
オランダ広場から坂を登った丘の上にセントポール教会跡が残る。マラッカ王朝を駆逐し,占領したポルトガルが1521年に建立したカトリック教会だったそうだ。教会内の金網の覆いの下に、1552年に亡くなったフランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置されていたという。
風景を変える首都クアラルンプールの都市化
首都クアラルンプールは、中国人の移民によって、錫の採掘拠点として1857年に開発された。その後1873~1957年、イギリスに支配され、錫とゴムの産出で発展した。クアラルンプールの人口は現在約200万人程度だが、首都圏は年3%の増加見込みで、2030年には980万人を見込む。シンガポールやバンコクと並び東南アジア有数の大都市だ。ちなみに国土面積は日本よりひとまわり小さい約33万平方キロで、そのうち60パーセントがジャングルなのに人口は3372万人(2023年マレーシア統計局)にも及ぶ。
クアラルンプールに連泊し、昼と夜の街を堪能した。近代都市を象徴するのがペトロナス・ツインタワーだ。89階建て452メートルで、完成した1998年当時は世界一だった。ツインの一つは日本の間組、もう一つが韓国企業が建設し、41階に架かる連絡橋がフランスの建設会社が手がけた。タワーの低層部分がショッピング・モールになっていて、その吹き抜けの空間が見事だ。タワーの前庭が市民の憩いの場で、ライトアップの噴水が色とりどりの光彩を放ちすばらしい。
「東洋の真珠」ペナン島は指折りのリゾート地
2008年の旅で2日間滞在したペナン島のことも書き添えておく。マラッカ海峡の入り口に浮かぶペナン島は、南北24キロ、東西15キロもあり、風光に恵まれ「東洋の真珠」と謳われた美しい島で、タイのプーケット島と並ぶリゾート地だ。
スルタンによる長い統治の後には、イギリスが進出。18世紀後半には植民地として支配をした。戦時中は日本軍が占領し、1957年になってマラヤ連邦に参加。現在は対岸のバタワース地区とペナン州を形成、マレーシアの中核都市の地位を築いている。
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
MASAO SHIRATORI
ペナン島は、日本人のロングステイ先としても急増している。かつてハワイやオーストラリアだったが、いまや最も多いのがマレーシアであり、中でもペナン島が人気という。それもそのはず気温は年中24度から32度で、1年を通しTシャツと短パンで過ごせる。それでいて物価は日本よりかなり低水準であり、治安もよく日本語の話せるスタッフが常駐する病院があるなど施設も整備されているからだ。
私が宿泊したリゾートホテルで衣類を販売していた元日本商社マンのマレーシア人は「アパート・マンションから一軒家まで予算に応じ好みのタイプがあります。仮にホテル住まいにしても2人1室、朝食付きで20万円足らずです」と、しきりにロングステイを勧誘された。
マレーシアと言えば、いくつかの事件を思い出す。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が訪問した2017年4月、マレーシア空港で殺された事件が生々しい。その一部始終が監視カメラに捉えられ、連日テレビニュースで報じられた。しかし結局、マレーシア政府は、遺体の北朝鮮移送を承認し、この事件の真相は闇に葬られた。
日本は第二次世界大戦で約3年間も占領し、1975年に日本赤軍が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら約50人の人質事件もあった。日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求したテロ事件で、当時の三木内閣がテロリストの要求に屈し、「超法規的措置」として5人を解放した。遠く離れた国とはいえ、歴史的な関わりは深い。マレーシアの政治的な動向や出来事に、無関心であってはならないと痛感した。
2度のマレーシア渡航で、マレー半島のかなり広域な地域をカバーできた。クアラルンプールの都市化をはじめ経済発展を遂げ、先進国への仲間入りを目指しているのが、十分に理解しえた。その一方で、豪華な新王宮や、首相官邸など政府機関を集結させた壮大な「プトラジャヤ」を建設し、外観が変貌するマレーシアの内実にも思いを馳せる旅でもあった。