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4年に一度、世界の人々を熱狂させる平和の祭典オリンピック。その発祥の地がギリシャにある。聖火はオリンピアの遺跡で点火され、開催地へと運ばれている。パリ五輪の開会式がセーヌ川で行われ、船上パレードは五輪発祥国のギリシャが先頭で登場していた。古代地中海世界の大国であったギリシャのアテネにアクロポリスが鎮座する。今年5月、秋篠宮家の次女、佳子さまは日本との外交関係樹立125周年に公式訪問されクロポリスにあるパルテノン神殿を視察された。私が初めてギリシャを訪れたのは、国家破綻危機が報じられ深刻な経済危機が続いていた2011年12月だった。
アクロポリスの丘からの眺望は圧巻
海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街は壮観だ。高台にある古代の遺跡から現代の都市景観が一望できる。逆に市内のどこからでもアクロポリスの丘を仰ぎ見ることができ、悠久の歴史が混在している。夜の街からライトアップに照らされた古代の景観も格別だった。もちろんアクロポリスの丘は、1987年に世界遺産に登録されている。
ギリシャ文明が花開いた栄華の名残をとどめるパルテノン神殿の遺跡に立つと、大英博物館にあった神殿を飾っていた彫刻の数々が、この地で修復・復元されたなら、どれほどすばらしい光景が眼前に広がるのであろうか、と複雑な思いにかられた。訪問時、保存工事のためクレーンが置かれ、やや風情に欠けた。その北にカリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物が望めた。
古代ギリシャは宿敵スパルタに敗れ、民主政治は衰退し、その後もアレクサンダー大王のマケドニアやローマ帝国、ピザンティン帝国などに支配される。そしてパルテノン神殿も建造後2100年にして、オスマン帝国の火薬庫になっていたため、ヴィネツィア軍の砲撃で大爆発を起こし崩壊してしまった。
なんとも無残で愚かな戦争の歴史。日本では縄文晩期から弥生早期にかかる時期に、大理石をふんだんに使用した重層建築の神殿が出現していたのだから驚愕というほかない。そんな時代に世界に先駆け都市国家を形成し、民主政治を確立していたギリシャが、21世紀になって、国家破綻の窮地に立ってしまうとは…。
かつてパルテノン神殿を飾っていた破風彫刻の《女神》や《騎士たちの行列》、《座せる神々》などの浮彫は19世紀にイギリスに買い取られた。1801年から1812年にかけて外交官エルギン卿によってイギリスに運ばれた。エルギン伯爵の名にちなんで「エルギン・マーブルズ」と呼ばれ、大英博物館の至宝中の至宝となっているのだ。ギリシャを訪ねた同じ年の晩春、大英で鑑賞していて、その美しさには感嘆したばかりだった。
一方こうした展示品について、ギリシャ政府は幾度となく返還要求をしている。しかしイギリス側は「返還すると保管状態が悪化してしまう」といった理屈で、拒否し続けている。ユネスコでは、「ギリシャとイギリスが話をする場を提供することです」と、難題を率直に認めている。
MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
ローマ以前に古代国家、世界遺産も各地に
ギリシャ観光の目当ては大英博物館にあった彫刻の数々が施されていたパルテノン神殿だった。とはいえローマ以前に古代国家を築いたギリシャだけあって世界遺産も多く、好奇心を満たす旅になった。わずか1週間の駆け足だったが、エーゲ海クルーズも楽しむことが出来た。
ミケーネは、アテネから約130キロ、紀元前17世紀末に栄えた古代都市遺跡だ。トルコのトロイの遺跡を発掘したあのハインリッヒ・シュリーマンが、ホメロスの叙事詩『イリアス』を信じて発見し、円形墳墓跡から黄金のマスクなどを発掘している。王宮跡や城壁、巨大な切り石を用いた獅子門などの遺構から、その繁栄ぶりが偲ばれた。
近くに入り口が三角形のアトレウスの墳墓があり、内部に入り天井を見上げると、見事な蜂の巣の形状をしていた。入り口の上にあるまぐさ石は120トンとか。ほぼ原形をとどめており、当然ながら、ほとんど盗掘されていたそうだ。紀元前1250年ごろに建設されといわれ、高度な技法に驚くばかりだ。
アテネへの帰路、オスマン領となっていたギリシャで19世紀前半に首都のあったナフプリオンに立ち寄った。現在の人口は、わずか1万4千人ほどというが、パラミディ要塞や、アクロナプリア城、ブルジ砦といった歴史的遺物があり、趣のある狭い路地や階段なども散策した。
バスの車中で、ガイドからギリシャ神話を聞いた。太陽の神アポロンは、清純で可憐な乙女ダフニに恋をし、腕をつかむが、男性を嫌う彼女の腕は小枝になり、身体は月桂樹となった話もその一つ。アポロンは「お前と一緒に過ごしたい」と小枝を折り、頭に載せたのが月桂冠の始まりで、マラソンなどの競技の優勝者に与えられるようになったとのことだ。
奇景や古代の聖地、エーゲ海の魅力
ギリシャ中部カランバカに到着したのは夜だったため、気づかなかったが、翌朝、ホテルの裏手に散歩に出ると、奇岩が林立し、その上に建物が乗っかっているではないか。1988年に世界遺産に登録された有名なメテオラは、ギリシャ語で「中空に浮かぶ」を意味する。この異様な光景は水の浸食作用で生まれたと考えられているが、湖が風化して岩石が露出したと言う説もあるようだ。
奇岩の高さは20~30メートルから400メートルに及び、建物はいずれも修道院だ。15-16世紀には24も数えたそうだが、今は6ヵ所のみ。このうちルサヌ修道院とヴァルラアム修道院を訪ねた。修道女のためのルサヌは3階建てで、小規模ながら修復され美しいイコンが飾られていた。
現在は修道院まで道や階段が整備されているが、どれほどの困難な工事であったことか、孤立無援で暮らす修道士の生活はいかに不便であったことだろう。下界とは隔てられた場所だけに、神への祈りに没頭できたのかもしれない。便利社会の現代人に、生きることの意味を考えさせる観光地でもある。
古代の聖地であった考古遺跡のデルフィは、紀元前にアポロンの神託が行われていた場所だ。またこの地は「大地のヘソ」(地球の中心)と考えられていた。アポロン神殿は巫女による神託を受けた所で、6本の円柱が残っている。神殿北西の丘の上に、4世紀に創られたギリシャ最古の劇場遺跡も35段の階段席などほぼ原形そのままに痕跡をとどめていた。アクロポリスの丘と同じ1987年に世界遺産に登録されている。
帰国前日にはエーゲ海の1日クルーズに出かけた。湖のように穏やかで刻々と7色に変化すると言われるエーゲ海だが、あいにくの荒天。風が強く寄港が心配されたが、アテネ港を離れるにつれ回復し、予定通り3つの島へ上陸出来た。
帰国前夜、アテネ市内にある第1回近代オリンピック競技場を見学した。2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアムとして大改修が施されていた。夜間はライトアップされていて神秘的であった。初めてのギリシャの旅では、古代オリンピックの聖地オリンピアには行けなかった。他にもエビダウロスの古代遺跡や、ドスの中世都市、ミストラの要塞なども持ち越した。
2010年代初頭に財政危機で事実上破綻したギリシャ経済が、「奇跡の復活」を遂げている。2021年に入ると設備投資や輸出が息を吹き返し、ギリシャの景気は急速に回復した。さらに、ユーロ圏の行動制限の緩和で旅行需要が刺激されると、観光業が好転し景気の回復を牽引するようになったという。
2028年のオリンピックはアメリカのロサンゼルスで開催される。その年までにギリシャを再訪し、オリンピアの遺跡を訪ねたいものだ。紀元前8世紀から1000年以上にわたって繰り広げられた古代オリンピックの競技会は、ゼウス神に捧げられた神事だったという。ゼウス神はギリシャの国家破綻を救ったのかもしれない。
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4年に一度、世界の人々を熱狂させる平和の祭典オリンピック。その発祥の地がギリシャにある。聖火はオリンピアの遺跡で点火され、開催地へと運ばれている。パリ五輪の開会式がセーヌ川で行われ、船上パレードは五輪発祥国のギリシャが先頭で登場していた。古代地中海世界の大国であったギリシャのアテネにアクロポリスが鎮座する。今年5月、秋篠宮家の次女、佳子さまは日本との外交関係樹立125周年に公式訪問されクロポリスにあるパルテノン神殿を視察された。私が初めてギリシャを訪れたのは、国家破綻危機が報じられ深刻な経済危機が続いていた2011年12月だった。
アクロポリスの丘からの眺望は圧巻
海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街は壮観だ。高台にある古代の遺跡から現代の都市景観が一望できる。逆に市内のどこからでもアクロポリスの丘を仰ぎ見ることができ、悠久の歴史が混在している。夜の街からライトアップに照らされた古代の景観も格別だった。もちろんアクロポリスの丘は、1987年に世界遺産に登録されている。
ギリシャ文明が花開いた栄華の名残をとどめるパルテノン神殿の遺跡に立つと、大英博物館にあった神殿を飾っていた彫刻の数々が、この地で修復・復元されたなら、どれほどすばらしい光景が眼前に広がるのであろうか、と複雑な思いにかられた。訪問時、保存工事のためクレーンが置かれ、やや風情に欠けた。その北にカリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物が望めた。
古代ギリシャは宿敵スパルタに敗れ、民主政治は衰退し、その後もアレクサンダー大王のマケドニアやローマ帝国、ピザンティン帝国などに支配される。そしてパルテノン神殿も建造後2100年にして、オスマン帝国の火薬庫になっていたため、ヴィネツィア軍の砲撃で大爆発を起こし崩壊してしまった。
なんとも無残で愚かな戦争の歴史。日本では縄文晩期から弥生早期にかかる時期に、大理石をふんだんに使用した重層建築の神殿が出現していたのだから驚愕というほかない。そんな時代に世界に先駆け都市国家を形成し、民主政治を確立していたギリシャが、21世紀になって、国家破綻の窮地に立ってしまうとは…。
かつてパルテノン神殿を飾っていた破風彫刻の《女神》や《騎士たちの行列》、《座せる神々》などの浮彫は19世紀にイギリスに買い取られた。1801年から1812年にかけて外交官エルギン卿によってイギリスに運ばれた。エルギン伯爵の名にちなんで「エルギン・マーブルズ」と呼ばれ、大英博物館の至宝中の至宝となっているのだ。ギリシャを訪ねた同じ年の晩春、大英で鑑賞していて、その美しさには感嘆したばかりだった。
一方こうした展示品について、ギリシャ政府は幾度となく返還要求をしている。しかしイギリス側は「返還すると保管状態が悪化してしまう」といった理屈で、拒否し続けている。ユネスコでは、「ギリシャとイギリスが話をする場を提供することです」と、難題を率直に認めている。
ローマ以前に古代国家、世界遺産も各地に
ギリシャ観光の目当ては大英博物館にあった彫刻の数々が施されていたパルテノン神殿だった。とはいえローマ以前に古代国家を築いたギリシャだけあって世界遺産も多く、好奇心を満たす旅になった。わずか1週間の駆け足だったが、エーゲ海クルーズも楽しむことが出来た。
ミケーネは、アテネから約130キロ、紀元前17世紀末に栄えた古代都市遺跡だ。トルコのトロイの遺跡を発掘したあのハインリッヒ・シュリーマンが、ホメロスの叙事詩『イリアス』を信じて発見し、円形墳墓跡から黄金のマスクなどを発掘している。王宮跡や城壁、巨大な切り石を用いた獅子門などの遺構から、その繁栄ぶりが偲ばれた。
近くに入り口が三角形のアトレウスの墳墓があり、内部に入り天井を見上げると、見事な蜂の巣の形状をしていた。入り口の上にあるまぐさ石は120トンとか。ほぼ原形をとどめており、当然ながら、ほとんど盗掘されていたそうだ。紀元前1250年ごろに建設されといわれ、高度な技法に驚くばかりだ。
アテネへの帰路、オスマン領となっていたギリシャで19世紀前半に首都のあったナフプリオンに立ち寄った。現在の人口は、わずか1万4千人ほどというが、パラミディ要塞や、アクロナプリア城、ブルジ砦といった歴史的遺物があり、趣のある狭い路地や階段なども散策した。
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
MASAO SHIRATORI
バスの車中で、ガイドからギリシャ神話を聞いた。太陽の神アポロンは、清純で可憐な乙女ダフニに恋をし、腕をつかむが、男性を嫌う彼女の腕は小枝になり、身体は月桂樹となった話もその一つ。アポロンは「お前と一緒に過ごしたい」と小枝を折り、頭に載せたのが月桂冠の始まりで、マラソンなどの競技の優勝者に与えられるようになったとのことだ。
奇景や古代の聖地、エーゲ海の魅力
ギリシャ中部カランバカに到着したのは夜だったため、気づかなかったが、翌朝、ホテルの裏手に散歩に出ると、奇岩が林立し、その上に建物が乗っかっているではないか。1988年に世界遺産に登録された有名なメテオラは、ギリシャ語で「中空に浮かぶ」を意味する。この異様な光景は水の浸食作用で生まれたと考えられているが、湖が風化して岩石が露出したと言う説もあるようだ。
奇岩の高さは20~30メートルから400メートルに及び、建物はいずれも修道院だ。15-16世紀には24も数えたそうだが、今は6ヵ所のみ。このうちルサヌ修道院とヴァルラアム修道院を訪ねた。修道女のためのルサヌは3階建てで、小規模ながら修復され美しいイコンが飾られていた。
現在は修道院まで道や階段が整備されているが、どれほどの困難な工事であったことか、孤立無援で暮らす修道士の生活はいかに不便であったことだろう。下界とは隔てられた場所だけに、神への祈りに没頭できたのかもしれない。便利社会の現代人に、生きることの意味を考えさせる観光地でもある。
古代の聖地であった考古遺跡のデルフィは、紀元前にアポロンの神託が行われていた場所だ。またこの地は「大地のヘソ」(地球の中心)と考えられていた。アポロン神殿は巫女による神託を受けた所で、6本の円柱が残っている。神殿北西の丘の上に、4世紀に創られたギリシャ最古の劇場遺跡も35段の階段席などほぼ原形そのままに痕跡をとどめていた。アクロポリスの丘と同じ1987年に世界遺産に登録されている。
帰国前日にはエーゲ海の1日クルーズに出かけた。湖のように穏やかで刻々と7色に変化すると言われるエーゲ海だが、あいにくの荒天。風が強く寄港が心配されたが、アテネ港を離れるにつれ回復し、予定通り3つの島へ上陸出来た。
帰国前夜、アテネ市内にある第1回近代オリンピック競技場を見学した。2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアムとして大改修が施されていた。夜間はライトアップされていて神秘的であった。初めてのギリシャの旅では、古代オリンピックの聖地オリンピアには行けなかった。他にもエビダウロスの古代遺跡や、ドスの中世都市、ミストラの要塞なども持ち越した。
2010年代初頭に財政危機で事実上破綻したギリシャ経済が、「奇跡の復活」を遂げている。2021年に入ると設備投資や輸出が息を吹き返し、ギリシャの景気は急速に回復した。さらに、ユーロ圏の行動制限の緩和で旅行需要が刺激されると、観光業が好転し景気の回復を牽引するようになったという。
2028年のオリンピックはアメリカのロサンゼルスで開催される。その年までにギリシャを再訪し、オリンピアの遺跡を訪ねたいものだ。紀元前8世紀から1000年以上にわたって繰り広げられた古代オリンピックの競技会は、ゼウス神に捧げられた神事だったという。ゼウス神はギリシャの国家破綻を救ったのかもしれない。