世界を席巻した新型コロナ禍で、海外への旅は低迷していたが、今年に入って活況の様相となった。振り返れば海外渡航は100回を超し、訪れた国は57ヵ国に及ぶ。国内も全都道府県に出向いている。旅は発見と感動を与え、好奇心を満たしてくれる。さらに旅によって、「文化力」を磨くことが出来る。私にとって、旅は生きていることの確認の場であった。智が満ち、歓びの原動力となる、そんな旅を、生ある限りこれからも続けたい。気障に言えば、「大人の心は、いつも発見の旅を待っている」。そんな旅のヒントを、これまで体験した内外の旅を通じ伝えたい。
MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
初めての軍艦島、繁栄から衰退の姿
コロナの感染者が当初700人以上になった横浜寄港のタイヤモンドプリンセスの騒動は記憶に新しい。クラスターで大打撃を受けたクルーズツアーが再び脚光を浴びている。連載は、そのクルーズの旅からスタートしよう。
2019年10月、イタリア船籍の「MSCスプレンディダ号」に乗船し、横浜―長崎―釜山間を3泊4日でショートステイした。13万7940トン、全長333メートル、最大乗客3274人、従業員も約2000人という世界で5番目の大型客船だ。バルコニー付き船室で、のんびり海を眺め、寄港地での接岸風景も楽しめた。
船の構造は18階層、面積が150万平方メートル、室数は1751部屋もあり、自室に戻るのにも迷うほどだった。船内には500人以上入場可能なシアターをはじめ、カジノやバー・ラウンジ、プールやジャグジー、フィットネス施設、映写室や図書室まで備わっている。まるで動く高層の豪華ホテルの趣だ。
横浜港を夕刻出港して、翌日は一日太平洋上だ。最初の寄港地は長崎で、夕刻までフリータイム。市内は何度も訪ねているので、港近くの大浦天主堂へ。美しい教会は国宝であり、前年に「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連施設」として、ユネスコの世界遺産に登録されたばかりだった。博物館には二十六聖人や禁教の物語の資料が展示され、悲劇の歴史に思いをめぐらせた。
午後は、かねて一度は見たいと思っていた軍艦島行きの観光船に予約無しで便乗できた。あいにく台風被害の影響で上陸できなかったが、廃虚となった高層アパートなどを間近に眺めた。石炭は日本の産業を支えた燃料だったが、石油に譲り、その繁栄から衰退の道をたどった炭鉱は海底に眠る。
翌日、韓国の釜山で下船した。ソウルに次ぐ第二の都市は国際貿易港として発展し近代ビルが林立する。一泊して市場や市内を散策し、釜山タワーや海東龍宮寺などを見学した。大型客船は中国など各地に寄港しイタリアへ。私は釜山から帰国。当時、良好と言えなかった韓国民に歓迎していただいたのが何よりの収穫だった。
地中海各地を観光、デッキの日の出…
大型客船での旅は、ナイル川クルーズや、ノルウェーからデンマークの航路を楽しんだこともある。2016年暮れには、「MSCスプレンディダ号」と同名同規模の船で、スペインのバルセロナから、フランスのマルセイユ、イタリアのジェノバの3カ国3都市を巡る地中海ツアーに乗船していた。この時は窓のない船室で、しばしば船上デッキに出て、日の出や夕陽を仰ぎ見たこともあり、バルコニー付き船室に憧れた。
この地中海ツアーも触れておく。関西空港からドバイ空港経由で、バルセロナへ。乗り継ぎ時間を加えると約20時間もかかった。到着後、バスで市内を一望できるモンジュイックの丘に登った。途中、1992年に開催されたオリンピック・スタジアムやスポーツ博物館を車窓から眺めた。
バルセロナでお目当てのサグラダ・ファミリアは、約10年ぶりの再訪だった。アントニ・ガウディが生前に実現できた地下聖堂と生誕のファサードが2005年に世界遺産に登録されている、73歳で亡くなってからも引き継がれ、没後100年に当たる2026年に完成をめざして急ピッチで工事が進められていたが、コロナ禍もあって先延ばしになりそうだ。この世紀をまたぐサグラダ・ファミリアの完成した姿を見届けたいものだ。
バルセロナに一泊した午後、大型客船に乗船した。テロ対策で乗船は厳重だ。荷物の安全審査は当然として、一人一人の顔写真を撮影し、コンピュータ管理され、寄港地の上下船でもチェックされる。夕刻6時に出航し、翌朝にマルセイユに入港した。午前中は市内観光にあてられ、ここでもマルセイユ市街を一望できる標高約150メートルの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂を訪れた。
この聖堂の特色は、数多くの船の模型や絵画が納められ、天井からはいくつもの船の模型が吊り下げられ、壁一面には大小さまざまな船の絵が掛けられている。いわば船乗りたちのための神聖な寺院とも言える。テラスからの眺めが360度のパノラマ展望で、眼下の市街の先には地中海と、遠くに山並みが続き美しい。
この日は夕刻5時、マルセイユを出港した。ジェノバ港に到着後、午前中は観光に出向く。イタリア北西部にある港湾都市で、中世には海洋国家(ジェノヴァ共和国)として栄え、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持つ。現代においてもミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つイタリア最大の貿易港であり、地中海有数のコンテナ取扱高を誇っている。
この地はアメリカ大陸発見の偉業を成し遂げたコロンブスの出身地という説が有力で、旧市街の一角に、コロンブスの生家があったとされる場所に、18世紀に復元された建物もあった。歴史が息づく街の風情で、時間の経つのが惜しいと思った。最後の寄港地はローマに近いイタリアのチヴィタヴェッキア港で、下船し空路で帰国した。
地中海各地を観光、デッキの日の出…
観光の詳しいリポートはともかく、クルーズの良さは、荷物を船室に置いて、昼間は寄港地の観光に出向き、夕方帰船、夜に運航という快適さだ。夕食はコース料理が用意され、軽食やドリンクはフリー。船室では読書やシャワー、ティータイムでくつろげる。世界にはその日暮らしも困る貧民もいれば、優雅な船上生活をエンジョイできる金持ちもいる。広い世界、何事も体験してみて実感できることだ。
21世紀になっても世界各地で紛争が続き、テロがやまない。そして今回のコロナ感染拡大だ。地球上の一点で起こった事象が、あっという間に世界に拡散してしまう怖さを思い知った。快適のはずの大型客船がクラスターの発生しやすい環境でもあり、思わぬ落とし穴であることも痛感した。
とはいえ早朝、船上デッキで仰いだ地中海の日の出の光景は、息を呑む美しさだった。朝日が海面を照らし、次第に明ける光景は、まさに至福のひと時と思えた。世界一周クルーズの旅はなお見果てぬ夢である。
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世界を席巻した新型コロナ禍で、海外への旅は低迷していたが、今年に入って活況の様相となった。振り返れば海外渡航は100回を超し、訪れた国は57ヵ国に及ぶ。国内も全都道府県に出向いている。旅は発見と感動を与え、好奇心を満たしてくれる。さらに旅によって、「文化力」を磨くことが出来る。私にとって、旅は生きていることの確認の場であった。智が満ち、歓びの原動力となる、そんな旅を、生ある限りこれからも続けたい。気障に言えば、「大人の心は、いつも発見の旅を待っている」。そんな旅のヒントを、これまで体験した内外の旅を通じ伝えたい。
初めての軍艦島、繁栄から衰退の姿
コロナの感染者が当初700人以上になった横浜寄港のタイヤモンドプリンセスの騒動は記憶に新しい。クラスターで大打撃を受けたクルーズツアーが再び脚光を浴びている。連載は、そのクルーズの旅からスタートしよう。
2019年10月、イタリア船籍の「MSCスプレンディダ号」に乗船し、横浜―長崎―釜山間を3泊4日でショートステイした。13万7940トン、全長333メートル、最大乗客3274人、従業員も約2000人という世界で5番目の大型客船だ。バルコニー付き船室で、のんびり海を眺め、寄港地での接岸風景も楽しめた。
船の構造は18階層、面積が150万平方メートル、室数は1751部屋もあり、自室に戻るのにも迷うほどだった。船内には500人以上入場可能なシアターをはじめ、カジノやバー・ラウンジ、プールやジャグジー、フィットネス施設、映写室や図書室まで備わっている。まるで動く高層の豪華ホテルの趣だ。
横浜港を夕刻出港して、翌日は一日太平洋上だ。最初の寄港地は長崎で、夕刻までフリータイム。市内は何度も訪ねているので、港近くの大浦天主堂へ。美しい教会は国宝であり、前年に「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連施設」として、ユネスコの世界遺産に登録されたばかりだった。博物館には二十六聖人や禁教の物語の資料が展示され、悲劇の歴史に思いをめぐらせた。
午後は、かねて一度は見たいと思っていた軍艦島行きの観光船に予約無しで便乗できた。あいにく台風被害の影響で上陸できなかったが、廃虚となった高層アパートなどを間近に眺めた。石炭は日本の産業を支えた燃料だったが、石油に譲り、その繁栄から衰退の道をたどった炭鉱は海底に眠る。
翌日、韓国の釜山で下船した。ソウルに次ぐ第二の都市は国際貿易港として発展し近代ビルが林立する。一泊して市場や市内を散策し、釜山タワーや海東龍宮寺などを見学した。大型客船は中国など各地に寄港しイタリアへ。私は釜山から帰国。当時、良好と言えなかった韓国民に歓迎していただいたのが何よりの収穫だった。
MASAO SHIRATORI
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
地中海各地を観光、デッキの日の出…
大型客船での旅は、ナイル川クルーズや、ノルウェーからデンマークの航路を楽しんだこともある。2016年暮れには、「MSCスプレンディダ号」と同名同規模の船で、スペインのバルセロナから、フランスのマルセイユ、イタリアのジェノバの3カ国3都市を巡る地中海ツアーに乗船していた。この時は窓のない船室で、しばしば船上デッキに出て、日の出や夕陽を仰ぎ見たこともあり、バルコニー付き船室に憧れた。
この地中海ツアーも触れておく。関西空港からドバイ空港経由で、バルセロナへ。乗り継ぎ時間を加えると約20時間もかかった。到着後、バスで市内を一望できるモンジュイックの丘に登った。途中、1992年に開催されたオリンピック・スタジアムやスポーツ博物館を車窓から眺めた。
バルセロナでお目当てのサグラダ・ファミリアは、約10年ぶりの再訪だった。アントニ・ガウディが生前に実現できた地下聖堂と生誕のファサードが2005年に世界遺産に登録されている、73歳で亡くなってからも引き継がれ、没後100年に当たる2026年に完成をめざして急ピッチで工事が進められていたが、コロナ禍もあって先延ばしになりそうだ。この世紀をまたぐサグラダ・ファミリアの完成した姿を見届けたいものだ。
バルセロナに一泊した午後、大型客船に乗船した。テロ対策で乗船は厳重だ。荷物の安全審査は当然として、一人一人の顔写真を撮影し、コンピュータ管理され、寄港地の上下船でもチェックされる。夕刻6時に出航し、翌朝にマルセイユに入港した。午前中は市内観光にあてられ、ここでもマルセイユ市街を一望できる標高約150メートルの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂を訪れた。
この聖堂の特色は、数多くの船の模型や絵画が納められ、天井からはいくつもの船の模型が吊り下げられ、壁一面には大小さまざまな船の絵が掛けられている。いわば船乗りたちのための神聖な寺院とも言える。テラスからの眺めが360度のパノラマ展望で、眼下の市街の先には地中海と、遠くに山並みが続き美しい。
この日は夕刻5時、マルセイユを出港した。ジェノバ港に到着後、午前中は観光に出向く。イタリア北西部にある港湾都市で、中世には海洋国家(ジェノヴァ共和国)として栄え、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持つ。現代においてもミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つイタリア最大の貿易港であり、地中海有数のコンテナ取扱高を誇っている。
この地はアメリカ大陸発見の偉業を成し遂げたコロンブスの出身地という説が有力で、旧市街の一角に、コロンブスの生家があったとされる場所に、18世紀に復元された建物もあった。歴史が息づく街の風情で、時間の経つのが惜しいと思った。最後の寄港地はローマに近いイタリアのチヴィタヴェッキア港で、下船し空路で帰国した。
世界一周クルーズの旅は見果てぬ夢
観光の詳しいリポートはともかく、クルーズの良さは、荷物を船室に置いて、昼間は寄港地の観光に出向き、夕方帰船、夜に運航という快適さだ。夕食はコース料理が用意され、軽食やドリンクはフリー。船室では読書やシャワー、ティータイムでくつろげる。世界にはその日暮らしも困る貧民もいれば、優雅な船上生活をエンジョイできる金持ちもいる。広い世界、何事も体験してみて実感できることだ。
21世紀になっても世界各地で紛争が続き、テロがやまない。そして今回のコロナ感染拡大だ。地球上の一点で起こった事象が、あっという間に世界に拡散してしまう怖さを思い知った。快適のはずの大型客船がクラスターの発生しやすい環境でもあり、思わぬ落とし穴であることも痛感した。
とはいえ早朝、船上デッキで仰いだ地中海の日の出の光景は、息を呑む美しさだった。朝日が海面を照らし、次第に明ける光景は、まさに至福のひと時と思えた。世界一周クルーズの旅はなお見果てぬ夢である。
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世界を席巻した新型コロナ禍で、海外への旅は低迷していたが、今年に入って活況の様相となった。振り返れば海外渡航は100回を超し、訪れた国は57ヵ国に及ぶ。国内も全都道府県に出向いている。旅は発見と感動を与え、好奇心を満たしてくれる。さらに旅によって、「文化力」を磨くことが出来る。私にとって、旅は生きていることの確認の場であった。智が満ち、歓びの原動力となる、そんな旅を、生ある限りこれからも続けたい。気障に言えば、「大人の心は、いつも発見の旅を待っている」。そんな旅のヒントを、これまで体験した内外の旅を通じ伝えたい。
初めての軍艦島、繁栄から衰退の姿
コロナの感染者が当初700人以上になった横浜寄港のタイヤモンドプリンセスの騒動は記憶に新しい。クラスターで大打撃を受けたクルーズツアーが再び脚光を浴びている。連載は、そのクルーズの旅からスタートしよう。
2019年10月、イタリア船籍の「MSCスプレンディダ号」に乗船し、横浜―長崎―釜山間を3泊4日でショートステイした。13万7940トン、全長333メートル、最大乗客3274人、従業員も約2000人という世界で5番目の大型客船だ。バルコニー付き船室で、のんびり海を眺め、寄港地での接岸風景も楽しめた。
船の構造は18階層、面積が150万平方メートル、室数は1751部屋もあり、自室に戻るのにも迷うほどだった。船内には500人以上入場可能なシアターをはじめ、カジノやバー・ラウンジ、プールやジャグジー、フィットネス施設、映写室や図書室まで備わっている。まるで動く高層の豪華ホテルの趣だ。
横浜港を夕刻出港して、翌日は一日太平洋上だ。最初の寄港地は長崎で、夕刻までフリータイム。市内は何度も訪ねているので、港近くの大浦天主堂へ。美しい教会は国宝であり、前年に「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連施設」として、ユネスコの世界遺産に登録されたばかりだった。博物館には二十六聖人や禁教の物語の資料が展示され、悲劇の歴史に思いをめぐらせた。
午後は、かねて一度は見たいと思っていた軍艦島行きの観光船に予約無しで便乗できた。あいにく台風被害の影響で上陸できなかったが、廃虚となった高層アパートなどを間近に眺めた。石炭は日本の産業を支えた燃料だったが、石油に譲り、その繁栄から衰退の道をたどった炭鉱は海底に眠る。
翌日、韓国の釜山で下船した。ソウルに次ぐ第二の都市は国際貿易港として発展し近代ビルが林立する。一泊して市場や市内を散策し、釜山タワーや海東龍宮寺などを見学した。大型客船は中国など各地に寄港しイタリアへ。私は釜山から帰国。当時、良好と言えなかった韓国民に歓迎していただいたのが何よりの収穫だった。
地中海各地を観光、デッキの日の出…
大型客船での旅は、ナイル川クルーズや、ノルウェーからデンマークの航路を楽しんだこともある。2016年暮れには、「MSCスプレンディダ号」と同名同規模の船で、スペインのバルセロナから、フランスのマルセイユ、イタリアのジェノバの3カ国3都市を巡る地中海ツアーに乗船していた。この時は窓のない船室で、しばしば船上デッキに出て、日の出や夕陽を仰ぎ見たこともあり、バルコニー付き船室に憧れた。
この地中海ツアーも触れておく。関西空港からドバイ空港経由で、バルセロナへ。乗り継ぎ時間を加えると約20時間もかかった。到着後、バスで市内を一望できるモンジュイックの丘に登った。途中、1992年に開催されたオリンピック・スタジアムやスポーツ博物館を車窓から眺めた。
バルセロナでお目当てのサグラダ・ファミリアは、約10年ぶりの再訪だった。アントニ・ガウディが生前に実現できた地下聖堂と生誕のファサードが2005年に世界遺産に登録されている、73歳で亡くなってからも引き継がれ、没後100年に当たる2026年に完成をめざして急ピッチで工事が進められていたが、コロナ禍もあって先延ばしになりそうだ。この世紀をまたぐサグラダ・ファミリアの完成した姿を見届けたいものだ。
バルセロナに一泊した午後、大型客船に乗船した。テロ対策で乗船は厳重だ。荷物の安全審査は当然として、一人一人の顔写真を撮影し、コンピュータ管理され、寄港地の上下船でもチェックされる。夕刻6時に出航し、翌朝にマルセイユに入港した。午前中は市内観光にあてられ、ここでもマルセイユ市街を一望できる標高約150メートルの高台にそびえるノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂を訪れた。
この聖堂の特色は、数多くの船の模型や絵画が納められ、天井からはいくつもの船の模型が吊り下げられ、壁一面には大小さまざまな船の絵が掛けられている。いわば船乗りたちのための神聖な寺院とも言える。テラスからの眺めが360度のパノラマ展望で、眼下の市街の先には地中海と、遠くに山並みが続き美しい。
この日は夕刻5時、マルセイユを出港した。ジェノバ港に到着後、午前中は観光に出向く。イタリア北西部にある港湾都市で、中世には海洋国家(ジェノヴァ共和国)として栄え、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持つ。現代においてもミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つイタリア最大の貿易港であり、地中海有数のコンテナ取扱高を誇っている。
この地はアメリカ大陸発見の偉業を成し遂げたコロンブスの出身地という説が有力で、旧市街の一角に、コロンブスの生家があったとされる場所に、18世紀に復元された建物もあった。歴史が息づく街の風情で、時間の経つのが惜しいと思った。最後の寄港地はローマに近いイタリアのチヴィタヴェッキア港で、下船し空路で帰国した。
《白鳥 正夫プロフィール》
1944年8月14日愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業、朝日新聞社定年退職後は文化ジャーナリスト。著書に『絆で紡いだ人間模様』『シルクロードの現代日本人列伝』『新藤兼人、未完映画の精神「幻の創作ノート「太陽はのぼるか」』『アート鑑賞の玉手箱』)『夢をつむぐ人々』など多数
MASAO SHIRATORI
世界一周クルーズの旅は見果てぬ夢
観光の詳しいリポートはともかく、クルーズの良さは、荷物を船室に置いて、昼間は寄港地の観光に出向き、夕方帰船、夜に運航という快適さだ。夕食はコース料理が用意され、軽食やドリンクはフリー。船室では読書やシャワー、ティータイムでくつろげる。世界にはその日暮らしも困る貧民もいれば、優雅な船上生活をエンジョイできる金持ちもいる。広い世界、何事も体験してみて実感できることだ。
21世紀になっても世界各地で紛争が続き、テロがやまない。そして今回のコロナ感染拡大だ。地球上の一点で起こった事象が、あっという間に世界に拡散してしまう怖さを思い知った。快適のはずの大型客船がクラスターの発生しやすい環境でもあり、思わぬ落とし穴であることも痛感した。
とはいえ早朝、船上デッキで仰いだ地中海の日の出の光景は、息を呑む美しさだった。朝日が海面を照らし、次第に明ける光景は、まさに至福のひと時と思えた。世界一周クルーズの旅はなお見果てぬ夢である。