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細井平洲は両国橋のたもとで辻講釈をはじめました。今日の語で言えば街頭演説です。
自塾の「嚶鳴館」で鍛え、学者たちとの研鑽で鍛え、伊予の西条藩等で成果を挙げつつあった「藩主民の父母論」を説きます。壮年の頃です。
藩主は藩財政を預かる天に仕える身と言って過言でないのに、それをせずに赤字にしたのですから。赤字藩の責任は藩主の責任です。天は人間に一杯の恵みをもたらしてくれている。その恵みを享受できるように民を指導するのが藩主の責務。農民こそがこの天の恵みを享受可能にします。その農民を大切にせず、苛斂誅求の搾り取るだけの政治をし、農民を非道徳にさせた結果としての赤字財政だからです。
藩主は、まず農民に対して謝罪の気持ちを持ってほしい。そして恕の心と忍びざるの心を持って接してほしい。農民に食っていけないような生活を強いての大赤字。農民が希望を持って生産に励めるようにすべきです。人間としての喜びを持てるように。
次に大切な事は、財政の常道を知ることです。「入るを量りて出るを制す」。これが常道です。もちろん私利私欲の殿様にはこの理屈は分かりません。俺が殿様ですので。搾り取るだけの殿様ですから。借金をしまくり、この結果藩財政は大赤字となったのに。
藩財政を立て直すには、藩主自らの反省が第一です。まず自らが倹約をすべきです。そして藩主たるもの何をすべきか、この問題を深く考えるべきです。民の父母としてどうすべきか。これが私が説くところの「藩主民の父母論」ですと平洲は言う。
この話を聞いて、藩の大赤字を憂う上杉藩の重鎮藁科松柏はこれしかないと思うのでした。そこで先君に、若君(後の鷹山)の先生に細井平洲を招き、藩の大赤字を克服してもらいましょうと進言します。赤字を克服したいと思っていてもどうしたらいいか分からなかった先君は同意します。こうして平洲が鷹山の師となる道が開けたのでした。
平洲の鷹山への指導は微に入り細をうがつものでした。その中味は平洲の『嚶鳴館遺稿』に書かれています。既に述べた「藩主民の父母論」も、藩主大赤字の責任論も書かれています。しかし責任の追及だけでは藩主には何をすべきかは分かりません。追及程度で分かるなら苦労はありません。分からない人に分からせるのですから大変でした。
平洲は統治者の責任を説きます。そしてそれができないなら賢者に統治を委ねるべきだと。その上で、統治の要は農民のやる気を引きだし、農民の生活を安定させ、藩財政を豊かにする方策だと述べていきます。
『嚶鳴館遺稿』は全六巻ですが、その中の巻第四の「管子牧民国字解」で、平州はこの統治論を述べています。端的に言えば他の五巻はこの巻第四の解説と言える程度に。
しかし、この巻第四は平洲によって「管子牧民国字解」と銘打たれていて、管仲思想の解説として書かれています。解説は人間平洲の解説になっていますので管仲の原文の漢文をしっかり読まないと管仲と平洲の差が分からなくなってしまいます。
管仲は「牧民」と言っています。民を牛馬のように牧すことが肝心だと。平州は学問によって農民を導くことが肝心だと言います。この違いは決定的です。人間平洲を中国の春秋時代の管仲と同列視したら間違いです。平洲は管仲が統治は農政を発展させ民の生活を安定させることにあると言っていることに注目したのです。「藩主民の父母論」は統治者の責任を述べていますが、その理論として注目したのでした。
(次号に続く)
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藩主は藩財政を預かる天に仕える身と言って過言でないのに、それをせずに赤字にしたのですから。赤字藩の責任は藩主の責任です。天は人間に一杯の恵みをもたらしてくれている。その恵みを享受できるように民を指導するのが藩主の責務。農民こそがこの天の恵みを享受可能にします。その農民を大切にせず、苛斂誅求の搾り取るだけの政治をし、農民を非道徳にさせた結果としての赤字財政だからです。
藩主は、まず農民に対して謝罪の気持ちを持ってほしい。そして恕の心と忍びざるの心を持って接してほしい。農民に食っていけないような生活を強いての大赤字。農民が希望を持って生産に励めるようにすべきです。人間としての喜びを持てるように。
次に大切な事は、財政の常道を知ることです。「入るを量りて出るを制す」。これが常道です。もちろん私利私欲の殿様にはこの理屈は分かりません。俺が殿様ですので。搾り取るだけの殿様ですから。借金をしまくり、この結果藩財政は大赤字となったのに。
藩財政を立て直すには、藩主自らの反省が第一です。まず自らが倹約をすべきです。そして藩主たるもの何をすべきか、この問題を深く考えるべきです。民の父母としてどうすべきか。これが私が説くところの「藩主民の父母論」ですと平洲は言う。
この話を聞いて、藩の大赤字を憂う上杉藩の重鎮藁科松柏はこれしかないと思うのでした。そこで先君に、若君(後の鷹山)の先生に細井平洲を招き、藩の大赤字を克服してもらいましょうと進言します。赤字を克服したいと思っていてもどうしたらいいか分からなかった先君は同意します。こうして平洲が鷹山の師となる道が開けたのでした。
平洲の鷹山への指導は微に入り細をうがつものでした。その中味は平洲の『嚶鳴館遺稿』に書かれています。既に述べた「藩主民の父母論」も、藩主大赤字の責任論も書かれています。しかし責任の追及だけでは藩主には何をすべきかは分かりません。追及程度で分かるなら苦労はありません。分からない人に分からせるのですから大変でした。
平洲は統治者の責任を説きます。そしてそれができないなら賢者に統治を委ねるべきだと。その上で、統治の要は農民のやる気を引きだし、農民の生活を安定させ、藩財政を豊かにする方策だと述べていきます。
『嚶鳴館遺稿』は全六巻ですが、その中の巻第四の「管子牧民国字解」で、平州はこの統治論を述べています。端的に言えば他の五巻はこの巻第四の解説と言える程度に。
しかし、この巻第四は平洲によって「管子牧民国字解」と銘打たれていて、管仲思想の解説として書かれています。解説は人間平洲の解説になっていますので管仲の原文の漢文をしっかり読まないと管仲と平洲の差が分からなくなってしまいます。
管仲は「牧民」と言っています。民を牛馬のように牧すことが肝心だと。平州は学問によって農民を導くことが肝心だと言います。この違いは決定的です。人間平洲を中国の春秋時代の管仲と同列視したら間違いです。平洲は管仲が統治は農政を発展させ民の生活を安定させることにあると言っていることに注目したのです。「藩主民の父母論」は統治者の責任を述べていますが、その理論として注目したのでした。
(次号に続く)