海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 これまで、私の子どものころに遊んだことをもとに連載してきましたが、私の頭の中にある遊びが枯渇に近い状態になってしまいました。そこで、私と出会った子どもたちの作品集(詩や作文など)をもとに連載しようと考え、「この指とまれ」を改名しようと思いました。でも、私自身、子どもと「この指とまれ」のような学級経営の中で生まれたものばかりですので、改名しないで引き続き、連載しようと考えました。子どもたちの作品とともに時々思い出話をおりまぜていきたいと思います。
 連載中、こんな遊びもあったと思い出したとき、その遊びも挿入していきたいと思っています。

 私が昭和四八年の四月に初任者として常滑小学校(現常滑西小学校)に赴任し、三年二組四四名の子たちと出会い、学級通信「スクラム」を十二月三日に発行しました。一週間に一回のわりで出していました。
 この年はオイルショックで物価が倍近くになりました。藁半紙もひとしめ三五〇円だったのが六八〇円くらいに高騰しました。今でいう「ほご紙」の裏に印刷し配ったものでした。
 給食費も六七円が七七円に、そして牛乳代が五円値上がりし、給食代は八二円になりました。
 オイルショックによって常滑の焼き物産業の打撃は計り知れなかったことと思います。
 そのころ、子どもが書いた詩を紹介します。

かまはなおせない
          K・Y男

よるのお父さんは、
ねんりょうのことを思って
かまをなおさないという。
国がねんりょうを
売ってくれないので
かまをつくっては
おかねがそんだ。
ねんりょうのことで
家の中は、せんそうだ。