海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
  これからの季節は、夕日が大きさを増すとともに、赤く染まり見応えのあるものになってきます。その夕日(日の入り)や朝日(日の出)を見たことがないと答えた子どもがついに5割を超えたといいます。川村学園女子大の斉藤哲郷(てつろう)教授が今年6月、小中学生約900人に聴いた調査で「日の出・日の入りを1回も見たことがない」が、約52%であったとのことです。
過去3回の同様の調査では4割台であったのが、初めて5割を超えたのです。
 常滑ではそんなもったいないことをする子どもはいないと思っています。「なぜ、もったいないか」というと、鈴鹿の山の端に真っ赤になって沈む夕日は「夕日100選」に選ばれてもおかしくないくらいだと思っているからです。真っ赤になって沈む夕日に染められての煉瓦づくりの煙突に魅せられるのは、私だけではないと思います。
 谷間で育った私は夕日を見たことがなかったのです。いつのまにか、沈んでいて夕焼け雲が山々の端をつないでいて、あしたも晴れるんだと思っていたくらいです。そのころになると、遊びをやめて帰らないと秋からの夕暮れは悪魔が黒い風呂敷を覆うようにすぐに暗くなります。暗くなったら夜道は恐いものでした。
 「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る、お手々つないで、皆、帰ろ、カラスといっしょに帰りましょう」といった唄も歌われることもなく、また、聴かれなくなったことは寂しいかぎりです。
 高校1年の春休みに足摺岬の方から四万十川へサイクリングにでかけ、高知県宿毛(すくも)辺りの小さな小学校で夕飯を作りながら見た夕日は南国の夕日そのもので、合掌したくなる気分になりました。
 山での感動した夕日には出くわしたことがないのですが、岩肌や雪山に夕日が照らされて赤からピンクに変わっていくさまは寒さを忘れていつまでも見とれていたくなります。
 7月の夕日は藤原岳辺りに沈んでいたのが、今では御在所岳辺りに沈むようになりました。気持ちにゆとりをもって、大きく真っ赤に染まった夕日を見つめたいものです。