海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 モスクワの北約600kmの少し東寄りに位置する静かで美しい街ヴォログダについて、海外の旅6(平成14年8月1日号)に既に述べた。妻と孫と私の3人はナージャ婦人の案内で、野外博物館に案内していただいた。ヴォログダの街を出てソホーズを通り、広い土地に19世紀に建てられた古い木造の民家や当時の暮らしの様子を保存して伝える為に計画され、現在もあちこちから古い建物を移築している建設途上のムゼーだった。
その中の一つである写真[2]の家は9人の子供が居て、増築していった標準的な三階建ての民家で、一階には馬などの家畜の部屋や農具などの土間があり、二階は居室で、食堂や寝室などがあった。その一角に写真[1]に示したキリスト教の神棚があった。

ベッド近くにはペチカがあり、炊事や屋内全体の暖房を行っていた。室内には食器や種々の調度品が飾られていて、針山などの裁縫道具や糸紡ぎ機、機織(はたおり)の道具やミシン、化粧道具などの他、民族衣装を着たフェスティバルの様子も陳列されており、民族衣装は試着することもできた。
 三階は仕事場になっていて、各種の工具類や農具などの他、狩人の生活も展示してあった。一隅は収穫物の貯蔵場所となっていた。
 陳列されていた工具類を見て驚いたことは、のこぎり(鋸)やかんな(鉋)の歯が身体に引き寄せて切ったり、けずったりするようになっていた事である。ヨーロッパやアメリカでは向こう側に押し出して切ったり、けずったりする。「これはこうして使うのか?」と身振りで示して尋ねると、「そうですよ」と意外そうに肯定された。ちょうな(手斧)やのみやきり(錐)の類などのロシアの大工道具類は日本と同じような造りで、彼らは日本人と同じような使い方をしているのだと合点した。この点ではロシアはヨーロッパではないのだなと思った。次の日、海外の旅6で書いた聖ソフィア大聖堂の大主教庭園内の歴史博物館で見た民具の陳列品からも同じ事が示唆され、再びここでも同じような質問をしたが、やはりそういう返事であった。木製の大きなコンパスや上段の5の玉が無く10個の玉を持った大きなソロバンもあった。ここに集められている家屋は大体150年前に建てられたもので、手作りのシーソーや木製の頑丈なブランコなどの遊具もあり、管理人さんが孫を遊ばせてくれた。
 写真[3]は井戸と輪転式のつるべで、2001年の暮れにモスクワ郊外で使われていた物(海外の旅5参照)と同じだった。
 夕方はヴォログダ川下りで、水面からの多くの教会やクレムリンなどの景色を楽しんだ。第一次世界大戦の頃は、ボルシェビキによる戒厳令が公布されたり、パンが配給制になったり、いろいろなことがあったらしいが、この街では君主制派やボルシェビキや反対派などいろいろな立場の人達が暴動も起こさず、共に受け入れて静かに暮らしたのだそうだ。
 早朝ヴォログダ駅を発ち、昼過ぎにはヤロスラヴリに着いた。ヤロスラヴリはモスクワ北東方向約260kmにあり、ヴォルガ川にコトロスリ川が合流する中州の岬の「熊の角」にできた集落が発展した古い都市で、1612年にはロシアの首都となり、その後貿易の要港として栄えた。世界最初の女性宇宙飛行士ニコラエフ・テレシコワさんが近郊で生まれ、この街で学んだことでも知られている。
 この街のクレムリンを見学し、城壁上を巡って景色を楽しんだり、川岸に広がる公園で寛いだ。写真[5]は、タタール軍との激しい攻防戦に勝利した記念の飾りで、矢が飛び交う単純で優れたデザインだ。クレムリンの玄関の壁にある。
 ヴォルガ川に沿った道路ぎわでは年取った女性が魚の干物をのんびりと売っていた。写真[4]はこの街の紋章を示している。
 この道路沿いに「音楽と時」の博物館というのがあった。入ってみると、音階を整えたベルやいろいろな楽器が陳列してあり、自由に演奏することができた。ロシアではベルは火事や災難から家を守り、幸運をもたらす贈り物なのだそうだ。時計は大小いろいろ無造作に集めてあった。1993年創設とあったが、ロシア最初の私設博物館と書いてあった。
 翌朝は娘の知り合いの大学教授がホテルまで来て、朝食の食べられる手頃なレストランに連れて行って下さったり、城門内の市街や、優れたフレスコ画や貴重なイコンで有名なイリヤ・プロロク教会(予言者イリヤ教会)を案内して下さった。この先生のお陰で、人混みで入り難い市場を体験することができた。丁度、日本のスーパー・マーケットのような感じで、ちょっとした雑貨や文房具などもいろいろ売っており、生鮮食品は豊富であった。市場の外には、おもちゃ屋、駄菓子屋、アクセサリー、衣料品の店などいろいろな小さい商店が軒を並べていた。
 昼からは私達でヴォルガの渡し船に乗ることにした。ヴォルガ川両岸の桟橋間をジグザグに上り下りして客や荷物の渡しをする定期船で、短い時間で安価にヴォルガ川クルーズを楽しむことができる。船着場までタクシーで向かったが、車の渋滞で時刻に間に合わず、一つ先の桟橋へ直行して乗船した。ゆったりしたヴォルガは気持ち良かった。川巾の広い所では海のようで、カモメが群がってやって来た。子供達がパンをちぎって投げると、空中で上手にくわえて飛び去った。(写真6)ヨットや貨物船や、タンカーや、大きな客船などと擦れ違った。
 モスクワでは、モスクワ川下りを楽しんだ。日頃見なれた馴染の教会や建物が次々に現れては流れ去るのが素晴らしかった。ゴーリキー公園の川岸にはロシアのスペースシャトルが展示されていた。クレムリン近くの川中に建つピョートル大帝の記念像を間近に見ることができた。
 
 サンクトペテルブルグやモスクワでは郊外にダーチャという別荘を持って菜園で農作業などをして週末を過ごすと聞いていたが、孫のお友達の家庭からの招待でダーチャを訪れることができた。木立の中の素敵な所だった。(写真7、8)
 この土地では、6月頃から夏の間、駅と子供の公園の間に子供鉄道が開業しており、小さな本物の電気機関車が小さい客車を引っ張っていた。大人も乗ることができた。責任者の運転手一人は大人であったが、小学校上級くらいの子から中学生くらいの若者が車掌や駅員や運転助手として、てきぱきと役割を分担していた。駅のホームや踏切では成人した若者が見張っているようだった。鉄道学校の生徒さん達だと聞いた。良い教育だなと感心した。
 ダーチャでは、自然の中での楽しい食事やティータイムを過ごし、ロシア伝統の湯沸器サモワールにまき(薪)や松かさを燃やして実演して下さった。孫はお友達と自転車乗りなどで久し振りの再会を楽しんでいた。
 モスクワ芸術座でバレエ「白鳥の湖」を鑑賞し、美しい演技に満足した。
 食事では、オストジェンカ通り14/2のレストラン・ゲナツヴァーレで、熊さん小屋のような楽しい雰囲気の部屋でグルジア料理に舌鼓を打った。写真[9]はグルジアの絵画、写真[10]は木彫りの魚に老人の顔が見える壁飾り。


<高木定夫プロフィール>
1932年、神戸生まれ。神戸大学理学部科学科卒。大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。大阪市立大学理工学部科学科助手、近畿大学理工学部科学科講師、助教授を経て1979年より教授、2001年より名誉教授。理学博士。奈良県在住。趣味、あるくこと。