海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 さて、今回はモスクワ北方少し東寄りにある古い田園都市、ヴァログダとその途中にあるヴォルガ川の貿易港として栄えたヤロスラヴリに足を延ばそうと、モスクワを訪れた。
 モスクワ・シェレメーチェボ2空港から市内に向かう間、白樺の林や並木が美しい。市内に入ると何やら綿ぼこりのようなものがふわふわと風に舞い、振りかかってくる。一瞬、工場のほこりかなと思ってタクシーの運転手さんに尋ねると、並木などにできた毛が散ってくるのだという。ポプラの一種でモスクワでは有名ですとのこと。へぇ、これはモスクワの夏の風物詩なのかと感心した。洗濯物にも付くし、部屋の中にも入って来るし、こまり物なのだそうだ。
それ以来、どんな木なのだろうと探したが見付からず、とうとうヴォログダのホテルの前の並木や公園で妻がやっと見付けた。枝から垂れ下がった15、6センチメートルから20センチメートル程度のつるに付いた6〜7ミリメートルくらいの実がはじけて、綿毛がふくらんでいた(写真1)。これが風に飛ばされているのだった。トボリという木だそうだ。辞書を引いて、はこやなぎ(箱柳)、はくよう(白楊、どろのき)、ポプラと同属とわかった。ヤナギ科の落葉高木で春ひも状の花穂を雌雄別株に出し、夏成熟したさく果から綿毛を帯びた種子を飛散することがわかった。いつの間にか風情を感じるようになっていた。
 モスクワ市のほぼ中央にクレムリン(城砦と言う意味)がある。昔、ロシア皇帝が住んだ宮城の跡である。現在も大統領府などがある。私が最初にモスクワを訪れた1988年当時にくらべて清潔で一層美しくなっていた。(写真2)美しい光かがやく玉ネギを乗せたギリシャ正教のキリスト教会、ロシア正教の立派な寺院がモスクワにもサンクト・ペテルブルグ以上に沢山あり、実際に訪れた人でなければ理解できない街の美観と落ちつきをかもし出している。
 クレムリンの北方、平和大通りに面してコスモスホテルがあり、この大通りの向かいの緑地には、世界で始めて宇宙空間へ人口衛星を送った成果を記念する約25メートルのチタン製オベリスクが美しい姿で天を突いている。標題の写真は正面から見たもので、基部前方には1898年に人工衛星の飛行原理を説いたチオルコフスキーの座像が建っている。このモニュメントの裏側には宇宙記念博物館があり、こちら側から見たこのオベリスクは写真3のように素晴らしい動的な姿を見せていた。おもしろいデザインに感心した。見る人に宇宙への夢を与えるこのようなモニュメントが日本にもあると良いなと思った。宇宙記念博物館には過去に使った色々な機材やライカ犬の剥製などが陳列されていた。ロシアの宇宙服は一人で脱着できるそうだ。ガガーリンが大阪で講演した際の日本の子供達との交歓の写真なども展示されていた。
 この緑地に続いて全ロシア展示センターがある。かつては社会主義ロシア連邦の繁栄を誇示する常設博覧会場であったが、今は淋し気なバザールになっていた。しかしウクライナの民話「石の花」を具体化したという巨大な噴水は立派で美しかった。子供達の遊具もあり、憩いの場となっている。
 この附近は昔シェレメーチェフ伯の領地であった所で、全ロシア展示センターに隣接してシェレメーチフ伯の邸宅であったオスタンキノ御殿博物館がある。同家の農奴建築家の設計により1870年代に建てられた大変立派な木造建築で、イタリアの間、エジプトの間、劇場ホールなどがあり、農奴芸術家達の作品で飾られている。イタリアの間の内装にはイタリア人建築家が招かれたと聞いた。
 芸術を愛した伯爵が力をそそいだ劇場は見物席の椅子を移動して舞踊ホールに変える仕掛けがあったそうだ。舞台の白い石柱も紙でできていて天井の木製のホイストで簡単に移動できる。雨の音や雷の擬音を作る道具も展示されていた。肖像画が飾られていたプリマドンナは農奴出身女優で、伯爵が妻にしたが、出産後間もなく若くして他界し、伯爵は恵まれない人達の福祉施設作りに尽力したと聞いた。
 モスクワから北へ約600キロメートルのヴォログダへは特急列車を利用した。途中ヤロスラヴリからダニロフの間で、狭い土地を耕した黒土の短いうねに野菜が植えてあった。土の道が続いて、集落があって、日本の農村と良く似た風景に出合った。但し、牧草地らしい広大な原っぱに真白い山羊が一頭遊んでいたのが大きな違いであろうか。天候の変化が激しく、ヴォログダの手前でキレイな虹が出た。
 ヴォログダの始りは1147年に一人の修道士がやって来て、ヴォログダ川のほとりに修道院を建てた時とされている。
 大主教の住んだ聖ソフィア大聖堂の庭園内には昔の建物がいろいろあって、この街の歴史や文化をはじめ動植物・地質までの広範な資料が展示された歴史博物館になっていた。キリスト教以前の「異教」の時代には我々にはなじみ深い卍が我々と同じ意味で用いられていた。吉祥、太陽の恵み、魔除けのような意味があったようだ。大聖堂は修復保存のための工事中であったが風通しのため見学させてくれた。ナージャ婦人のお陰と感謝している。16世紀中葉ロシア初代皇帝イワン4世(雷帝)がヴォログダに北の離宮の建設を命じ、途中で変更になったこともあるのだそうだ。写真の4は田園都市ヴォログダとヴォログダ川。赤いマークはヴォログダ市の紋章。写真5は川岸の風景。この街にはロシア正教の美しい寺院が多数ある。
 あちこちにきめ細やかな彫刻のほどこされた古い木造建築が多数残っており(写真6)、選定した上で改修保存がなされている(写真7)。その業務を統括されているミーシャさんとご婦人のナージャさんは娘の知り合いで、今回大変お世話になった。
 この街が生んだ詩人ヴァルラーム・シャラーモフ(写真8)に関する学会がシャラーモフ・ハウスで各国の研究者を集めて行われ、娘も講演するので、時期を合わせて訪れて、孫のお守りをしながら私達は別行動を取った。
 外交団博物館では、第一次世界大戦中の1918年2月から7月までの一時期、当時首都であったペテログラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)がドイツ軍に攻撃され、米、英、仏、伊、日本、中国、シャム(タイ国)、ブラジル、セルビアなどの大使館員や米国赤十字ミッションなどが列車で脱出してヴォログダに移動し、ヴォログダがロシアの外交上の首都のようになったことを初めて知った。この街が交通の要であり、移動や通信が便利であったことが理由であったらしい。
 博物館で出合った男性はこの時期、フランスの4人の館員は全てスパイだったとか、アメリカ大使はニューヨーク銀行の支店を開いて米ドル札を発行したとか、いろいろ熱心に話してくれた。昔のことを知っている人達は自分達が元気がうちに外部の人々に知ってほしいことが沢山あるといった感じだった。
 ミーシャさんがこつことと改修を続けている立派な自宅に招かれて、ナージャさん手作りのごちそうやミーシャさんが作られたハーブ入り紅茶を賞味して、翌朝ヤロスラヴリへ向かった。

<高木定夫プロフィール>
1932年、神戸生まれ。神戸大学理学部科学科卒。大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。大阪市立大学理工学部科学科助手、近畿大学理工学部科学科講師、助教授を経て1979年より教授、2001年より名誉教授。理学博士。奈良県在住。趣味、あるくこと。