海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

おかげさまで、ちたろまんの連載が200回を迎えた。平成10年11月から17年間にわたる。依頼を受けたとき、軽い気持ちで引き受けたのだが、こんなに長期連載になるとは思いもしなかった。
 200回記念に免じて、今回は、去年3月亡くなった母のことを書かせていただきたい。今月22日が誕生日、生きていれば85歳になる。これまで母のことは、あまり人前で語ってこなかったが、折に触れて話をすることで、母は、人の心の中に生き続けると思うから。

丁寧に生きた人
 母・村上たづ子は、昭和5年京都に生まれた。若いころの写真を見ると、我が母ながら、長身の美人だ。父が惚れたのがよくわかる。
 母が亡くなった夜、遺品の中に、父から届いた恋文が数十通あることが判明した。戦後まもなく、信州上田と京都と離れていた時期があり、父は、何度も手紙を書いていたのだ。
 そこには、会えない切なさが綴られている。母からの返事を待ち焦がれている様子が見て取れる。「この手紙を読んではならない」という書き出しで始まる恋文は秀逸だ。「読んではならないというのにまだ読んでいますね…もう読むのがやめられなくなりましたね…とうとう最後まで読んでしまいましたね。僕はあなたが大好きです」息子のボクが読んでいても顔から火が出そうだが、一途な想いが母の心をとらえたのだろう。そのおかげで、ボクが存在している。

 母は、丁寧に丁寧に生きた人だった。特に、料理には手をかけた。料理番組が始まると、一言も聞き洩らさないようにして、大学ノートにメモを取っていた。手を変え品を変え、献立を考え、毎日の食卓に美味しい料理を並べてくれた。ボクにとって「おふくろの味」は一つに絞りきれない。
 母は、もてなし上手だった。ボクが幼いころ、来客の絶え間がなかった。母の手料理目当てだったことは言うまでもない。
 寝たきり状態になる寸前まで、不自由な身体を押して台所に立っていた。亡くなる直前に、何か言いたいことはないかと問うと、「菜の花の和え物が食べたい」と答えが返ってきた。最後まで、食にこだわっていた。

 スーパーの売り場で、ちくわが目にとまったことがある。母は、歯が丈夫でなかったので、ちくわやはんぺんを好んで食べていた。頼まれて買い物に行ったものの、「ご指定のちくわ」でないと取り替えに行かされたこともある。母の「ご指定のちくわ」を見かけた瞬間、熱いものがこみあげてきた。スーパーでちくわを見て泣いている男など、どこにもいまい。
 母は、ユーモアセンスのある人でもあった。エイプリルフールには、よく引っかかった。
 ボクは横綱・柏戸の大ファンだった。ある年の4月1日、「(家の近くの)金閣寺に柏戸が来てるで〜」と言われ、「え!ほんま」と喜び勇んで、家を飛び出そうとした。背後で、ケラケラ笑っている母の声を聞いて、「あっ、またやられた」と気づいた。このことは、忘れられない思い出だ。
 母は、ラジオが大好きだった。一日中、ラジオがつけっぱなしだった。NHKが中心だが、TBSも文化放送もニッポン放送も聞いていた。ボク以上に各局のアナウンサー事情にも精通していた。ラジオから得た雑学を教えてもらうことも多かった。
 生前、たいした親孝行も出来なかったが、ボクが、NHKラジオで11年間番組を担当出来たことは、何よりの親孝行だった。面と向かっては言えないので、自分の誕生日にドサクサ紛れに「母さん、生んでくれてありがとー」とマイクに向かって言ったことがある。

寄り添うことば
 六十代に入ってからは、頸椎のヘルニアで、「痛い、辛い、しんどい」の毎日だった。
 笑顔も少なくなり、眉間に皺がよることが多くなった。おまけに潔癖症に拍車がかかり、ボクは煩わしくて、あまり実家に行かなくなった。
 スーパーに買い物に行ったこともない、掃除や洗濯をしたこともなかった父が、母のサポートをする姿に感心していたが、恋文の存在を知って合点がいった。愛ゆえのことである。その父が亡くなってからは、「寂しい」が加わった。
 なかなか嬉しいことばを言わない母に、息子はなかなか聞く耳を持てなかった。「痛いのは生きてる証拠」などとひどいことを言った。「あんた、アナウンサーやろ。どうしてもっと優しい言い方できひんの」と母を嘆かせた。
 「痛いよね」「辛いよね」「しんどいよね」どうして、ことばで寄り添えなかったのか、後悔先に立たずだ。母と、もっと話しておけばよかった。いつも生返事。いつも短時間。
 だが、最期の日は、5時間ベッドサイドにいた。腸閉塞を起こし、救急車で運ばれ、尿毒症を併発し、かなり厳しい状態だったが、母は死ぬ気などなく、弱弱しい声ながら饒舌だった。「菜の花」のこと以外にも、病状のこと、夢に父が出てきた話、生まれてくるひ孫の話…いろんな話が出来た。そして、一旦引き上げるからと告げると、しっかり目を見据えて「気をつけてね」と言ってくれた。その3時間後、容態が急変したのだ。
 父の最期の時も、前夜、ゆっくり話せた。別れ際に聞いたことばは、「気をつけてな」。
 父も母も、病身ながら、息子を気遣う「気をつけて」が最期のことば。吉田松陰の歌にもある「親思う心にまさる親心」なのである。

■村上信夫プロフィール
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や『鎌田實いのちの対話』など、NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をしながら、文化放送『日曜はがんばらない』(毎週日曜10:00〜)、月刊『清流』連載対談〜ときめきトークなどで、新たな境地を開いている。大阪で『ことば磨き塾』主宰。
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
これまで、『おはよう日本』『ニュース7 』『育児カレンダー』などを担当。著書に『嬉しいことばの種まき』『ことばのビタミン』(近代文藝社)『ラジオが好き!』(海竜社)など。趣味、将棋(二段)。

http://murakaminobuo.com


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■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

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