海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 「オーストリア国家公認キュッヘンマイスター」の神田真吾さんが作り出す料理は、えもいわれぬおいしさだ。ウィーナーシュニッツェルという名物料理(子牛のカツレツ〜そうとも言い切れない微妙なところ)は、特製ドレッシングで合せたキュウリ、トマト、ポテトと一緒にほおばると、口中で絶妙なハーモニーを奏でる。気取りがない。優しい味がする。
 オーストリア料理は、仄かな甘みをベースに、酸味とハーブで変化を加えることが多い。甘味は、すべての料理に関わる。根菜の甘味、ハチミツやメープルシロップなどで出す。バターはほとんど使わない。
 「キュッヘン」とは厨房(キッチン)や料理という意味。「マイスター」とは、その道を究めた名人のこと。神田さんは、オーストリア国家が認めた最高の腕を持つ料理人なのだ。「マイスター」の資格を持つと、ヨーロッパでは一流の料理人として認められ、五つ星クラスの高級ホテルで、シェフとしての地位を約束されている。

 マイスターという称号自体は、ハプスブルグ王朝時代から、技術と人格に優れた料理人に与えられていたが、国家試験として制度化されたのは、1970年代の初めからだ。700年近く栄えたハプスブルグ家が崩壊すると、キュッヘンマイスターたちは各地へ散らばっていった。そのうちに勝手にマイスターを名乗る者が出てきたため、オーストリア料理の伝統を守るため、政府がキュッヘンマイスター制度を創設した。神田さんは、東洋人では初めて資格を得た。

始まりはシュークリーム
 1975年、東京都八王子市の生まれ。34歳。祖父母、両親と妹の6人家族。食卓には、祖母が作る和食と、母が得意な洋食が同時に並んでいた。いつも家族全員揃っての夕食だった。「世界でいちばんおいしい料理は、母の手作りハンバーグ」だと、今も思っている。
 父の勧めで、小学校二年生から町の道場で剣道に打ち込んだ。負けずぎらいな性格は、剣道で培われた。
 料理に目覚めたのは、小学校三年生の時。同級生の女の子が読んでいた「お菓子の作り方」の本を借りて、シュークリームを作った。本に書いてある通りに作ると、やがて生地がフワーと膨らんで驚いた。家族に食べて貰ったとき、祖母と母がとても喜んでくれたのが嬉しかった。以来、一日おきに台所に立って、様々なお菓子作りに挑戦した。
 高校時代には、毎週日曜日、自分で朝食を作ってから出かけるほどになった。料理の腕はめきめき上がり、祖母から料理の本を貰って、かなり難しい料理にも挑戦していた。近所のスーパーに出かけては、食材探しもするようになった。
 しかし、「男が料理をするなんて恥ずかしい」と思いこんでいて、家族以外には内緒にしていた。その思いこみが、ひっくり返ったのが文化祭での出来事だ。自分のクラスはお好み焼きの模擬店を出すことになっていたが、開店直前になっても、料理の下ごしらえが出来ていなかった。文化祭の担当委員だった自分は、おそるおそるキャベツを千切りしている女子から包丁を借りて、一気呵成にキャベツを千切りにした。

 それを見た同級生から「すごい!」「格好いい!!」という声が聞こえてきた。料理を作れる事を誇りに思うようになれた。

微分積分が道を開いた
 料理人への道は、微分積分が切り開いてくれた。大学受験はうまくいかず浪人した。夏休みに予備校で、微分積分の授業の最中に、一瞬、周りの音がすべて遮断された。頭の中が真っ白になった。「いったい、ここで何をしているんだ?僕が進みたいのは料理人の道だ」と唐突に気づいた。授業が終わると一目散に本屋に向かい「フランス料理用語辞典」を買って、予備校の授業中に読み始めた。
 しかし両親は大反対した。夏休みの終わりに、家族に打ち明けると、母は泣き、父は怒鳴って反対した。両親の反応は予測出来たし、理解も出来たが、気持ちを曲げるつもりはなかった。
 母は途中で折れて、料理学校の願書に捺印してくれたが、父親は願書提出の締め切り直前になっても、首を縦に振ってくれなかった。
 専門学校に通いながら、アルバイトをしたフレンチレストランのオーナーに、両親を店に連れてくるように言われた。食事を終えた両親に、そのオーナーが、料理人という仕事のすばらしさを説明してくれた。両親も、ようやく納得してくれた。
 料理学校を卒業後、ホテルでの修業を経て、オーストリアへ渡ることになった。父が知り合いを通じてオーストリアのホテルに紹介してくれた。出発前にも「人の出来ないことをやってこい。自分が納得するまでは帰ってくるな」と、誰よりも勇気づけてくれた。

オーストリアとの出会い
 フランス料理のシェフを目差していた神田さんは、オーストリアは足がかりのつもりだった。だが、オーストリアに渡り、その料理に魅せられてしまう。オーストリアで出会った人々の素朴で温かい人柄に触れたことが理由の一つだ。チロル地方のお祭りに出かけ、そこで出会った老婦人の顔が、自分の祖母にそっくりで驚いてしまった。老婦人は湯気の立つスープを飲ませてくれた。飾り気のないあっさりした味だったが、心のこもった、心安らぐ味だった。
「美味しいかい」「美味しいよ」
 小さい頃から、おはぎや草餅などを作ってくれた祖母と繰り返したやりとりと同じだった。このことがきっかけで、チロル地方が大好きな場所になっていった。現地の人々と触れあい、オーストリア料理の奥深さを知るにつれ「通過点」から、自分とは切っても切れない「かけがえのない国」に変わっていった。父の「人とは違うことをやれ」という言葉に、後押しされた。

 2004年、マイスター試験を受けた。試験期間は半年にも及ぶ。1800ページに及ぶテキストで24科目を学び、16科目については筆記試験がある。そして与えられたテーマでの論文発表。これらの全ては、当然ドイツ語だ。
 さらに5日にわたる実技試験。一人分五品の料理を、五人分五時間で作る「マイスターのメニュー」が最大の難関。「秘密の箱」に入っている三十〜四十種類の食材を提示され、コースを即興で仕立てる。試験官は、ハプニングにどう対応するか、頬と頬が近づくくらいの距離で、つぶさに観察する。最大のプレッシャーは、試験が「生涯に一度しか受けられない」ということだ。
 睡眠時間は一日に3〜4時間。ここで、剣道で鍛えた体力と集中力が生きた。迷いがあるときや、意志がくじけそうなとき、照明を落とした部屋で、正座をして黙想したあと、木刀で素振りをして集中力を取り戻した。
 こうして、神田さんは、難関を突破した。
 マイスターとしての初の大仕事は、ハプスブルグ家の末裔が住む屋敷での晩餐会。インスブルッグ市長が、魚が苦手と聞き、あえてナマズ料理に挑んだ。歩き回って、新鮮なナマズを調達し、パン粉の衣をつけて香ばしく焼き上げ、カボチャの種のソースで食べてもらった。ひやひやものだったが、「カンダの作る魚料理なら食べる」と絶賛を浴びた。

 神田さんは、3年前、東京に戻り赤坂でレストランを開業した。日本に、オーストリア料理の伝統を伝えるのが、「自分の使命」だと思っている。奇をてらわず、モダンに流されず、1800年代の貴族が家庭で食べていた料理を忠実に再現していくことが、自分に課せられた役割だと思っている。自分の流儀、自分の姿勢を崩さない、意志の強さは、道場でひたすら素振りを繰り返す剣士のようだ。

■村上信夫プロフィール
NHKチーフアナウンサー
1953年、京都生まれ。
明治学院大学卒業後、
1977年、NHKに入局。
富山、山口、名古屋、東京、大阪に勤務。
現在は、「今日も元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)、
「BS将棋中継」などを担当。
これまで、「おはよう日本」「ニュース7」「育児カレンダー」などを担当。
教育や育児に関する問題に関心を持ち続け、横浜市で父親たちの社会活動グループ
「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋。
著書に「元気のでてくることばたち!」(近代文芸社)
「おやじの腕まくり」(JULA出版局)
「いのちの対話(共著)」(集英社)
「いのちとユーモア(共著)」(集英社)

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■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第2金曜日 午後1時〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−32−0583

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