海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 私にとっては、何の違和感もなかったことなのだ。ためらいもなかったことなのだ。しかし、無謀なことをしたと考える人がいてもおかしくない。耳の聞こえない人を、音声だけが頼りのラジオのゲストに呼んだのだから…。

 だんだん耳が聞こえなくなる
 松森果林さんは、1975(昭和50)年、群馬県の水上町に生まれた。活発な少女だった。男の子と一緒に昆虫捕りをしたり、秘密基地で暗くなるまで遊んだりしていた。

 小学校3年生になって、仲良しの女友だちが二人出来た。だが、いつのころからか、無意識に、二人の右側を歩くようになっていた。右耳が少し聞こえにくくなっていたのだ。
 そして、小学校4年生の終わり頃。右耳から全く音が聞こえないことに気づいた。親には、すぐに言えなかった。耳の聞こえないことを冷やかす子たちもいて、聞こえる「ふり」をしていた。
 中学2年生の終わり頃、今度は左耳の進行性難聴が始まった。何とか高校に合格出来たが、高校1年生の終わり頃、左耳の聴力が、急激に落ちてきた。回りの人とのコミュニケーションが取れない苛立ちが募った。当時の日記を読み返してみると、「どうして聞こえなくなってしまったのか」「どうしたらいいのか答えがみつからない」と、戸惑いと悩みばかりが書き連ねてある。辛いことを一人で背負っていた。
 男性の低い声から、しだいに聞こえにくくなっていった。唯一、最後まで聞こえていたのが、トーンの高い小田和正の声だった。ラジカセにしがみつきながら聞いていたという《ラブストーリーは突然に》をかけた。曲をかけてから唖然とした。松森さんには聞こえないのだ。咄嗟に、曲を聞きながら、私は、口をゆっくり動かしながら歌真似をしてみた。そうしたら、歌詞を覚えている松森さんも、声に出して歌うではないか。言い知れぬ感動を味わいながら、デュエットをした。胸がじーんと来た。

 耳が完全に聞こえなくなった日、1992年1月11日の日記にはこう書かれている。「なんでだろう。どうして?信じられないよ。嘘みたい。まったく聞こえなくなるなんて。朝起きて、ゴボンゴホンと咳をした。こんなに小さい音だっけ?声を出してみたが自分の声が耳から入ってこない。もしかしてこのまま?何だか笑ってしまう。張り裂けそうな胸を抱えて一階に降りていった。いつものように家族に顔を合わせ、いつものようにパンをトーストして、バターぬって…、まるでスポンジを食べている気分だった。苦いオレンジジュースだった。同じように朝食をとっているお父さんとお母さんを見て、あふれそうになる涙を必死にこらえた。ごく普通にさらりと冷静に言ってみた。『朝起きたら、両耳とも聞こえなくなっていたよ』泣かないって決めていたのに、涙が溢れてきて止まらない。そんな私に、お父さんが力強い筆圧で紙にこう書いてくれた。『おまえの涙を見ていると、いっそのことお父さんたちも耳が聞こえなければと思う。お父さんたちの耳をおまえにあげたいと思う。けれども、もしお父さんがおまえの立場だったら、絶対に乗り越えるぞ』」
 日記を読みながら、ぐっときた。「昔のことを思い出させてごめんなさい」と謝ると、松森さんは屈託なく笑った。哀しみを経た末の笑い声には、人の心をつかむ無言の力がある。

 松森さんには、もう一つ忘れられない日がある。1992年2月1日。担任の先生に、「障害者と認めてもらったほうが生活していきやすい」と言われて、障害者という言葉の響きにショックを受けた。大雪の中、泣きながら歩いているうちに、雪の中に倒れ込んでいた。救急車で運ばれたが、凍死寸前だった。この時の体験を、松森さんはあいかわらず明るい口調で「このまま死んでしまえばいいと思った」と語る。自分の声が聞こえないから、辛い体験哀しい体験を語るときも、楽しい話をするときと、さほど変わらない。だから、明るく「死にたかった」と言われたとき、また熱いものが込み上げてきた。
 後日、担任の先生に「障害があるからと言って、果林の価値は変わらないんだよ」と、言ってもらえて、現実を直視できるようになっていった。高校3年間で、驚くほど考えが変わった。くよくよしていたのに、聴覚障害を受け入れてからは、前向きになった。

 松森さんはバリアフリー
 高校卒業後、聴覚障害者や視覚障害者を受け入れる筑波技術短期大学に入る。聴覚障害者はフレンドリーな人が多く、手話の出来る人は、誰彼構わず話しかけてくる。大学に入って、友達の数がぐっと増えた。
 大学卒業後は、ディズニーランドを経営するオリエンタルランドに就職した。ディズニーランドを、耳の聞こえない人にも楽しめるところにしたいと考えた。手話の出来るキャストは、ミッキーが手話をしているバッジをつけている。今では、その数100人に昇る。
 職場の同僚と結婚して、男の子が生まれた。名前は「空」とつけた。空は世界のどこともつながっている。どこにいってもバリアがない。「別け隔てのない子に育ってほしい」という思いが込められている。空くんが、最初に覚えた手話は「いっしょ」。人差し指だけ立てた右手と、左手をそっと並べる。松森さんは、この手話が大好きだ。耳の聞こえない母を持った息子は、言葉より先に手話を覚えていった。

 出産後は、聴覚障害者の体験を生かして、バリアフリー社会実現のために、様々な場で活動を続けている。本を書いたり、講演をしたり、ユニバーサルデザイン開発のアドバイスしたりと、いろんな形で発信している。
 ユニバーサルデザインとは、バリアを解消し、障害のあるなしを問わず、誰もが無理なく利用出来る商品や空間をデザインすることだ。いま松森さんは、香りに関心を示している。香りの専門学校に通って勉強もしている。携帯電話の受信を香りで知らせる。恋人の香水が着信フレグランスになれば素敵だ。刺激のある匂いでガス漏れを知らせる警報システムも、メーカーが開発中だ。

 「聞こえなくなってから、聞こえてくるようになった音もある」という。松森さんは、夜空の星を見ていると、カシャカシャ、シャラシャラという音が聞こえてくるのだそうだ。「あんなに綺麗に輝いている星だから、音が聞こえないのが不思議でしょ」と、松森さんは屈託なく笑う。松森さんは、聞こえない世界の素晴らしさも、聞こえる世界の素晴らしさも両方知っている。

■村上信夫プロフィール
NHKチーフアナウンサー
1953年、京都生まれ。
明治学院大学卒業後、
1977年、NHKに入局。
富山、山口、名古屋、東京、大阪に勤務。
現在は、「今日も元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)、
「BS将棋中継」などを担当。
これまで、「おはよう日本」「ニュース7」「育児カレンダー」などを担当。
教育や育児に関する問題に関心を持ち続け、横浜市で父親たちの社会活動グループ
「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋。
著書に「元気のでてくることばたち!」(近代文芸社)
「おやじの腕まくり」(JULA出版局)
「いのちの対話(共著)」(集英社)
「いのちとユーモア(共著)」(集英社)
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
おなじの腕まくり「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第2金曜日 午後1時〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−32−0583

イネ・セイミ

 堀江実のポエムコンサートをCDでお届けします。

  詩と朗読
  フルート
  ピアノ
  構 成

  Disk1
  Disk2
 堀江実
 イネ・セイミ
 はちまん正人
 佐藤よりこ

 光のように
 花のように

 言霊に癒されるCD堀江実のポエムガーデン
 やさしい風がふいています。
 木々の梢は光っています。
 あなたの心がやすらぎで満たされますように。
 あなたの心に喜びがあふれますように。

2003年10月22日発売 CD2枚組 3,150円(税込み)