海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

日野原先生ウォッチング

 ことし93歳の聖路加(せいるか)国際病院名誉院長の日野原重明さん。「やることが多すぎて死ぬ暇がない」のだそうだ。とにかく超人的スケジュールだとは聞いていた。
 打ち合わせで、聖路加国際病院にある日野原さん御用達のゲストハウスを訪ねた。スケジュール帳にびっしり書き込まれた予定表を横目で見ながら、10分刻みに、次々訪れる人に面会していく。私が訪ねた日は、ちょうど、よど号ハイジャック事件から35年たった日で、当時の石田機長が挨拶に来ていた。日野原さんより一回りは年下の石出機長の方が老けて見えた。何だか歴史的一場面に遭遇したような気分だった。

 国の内外を講演で飛び回っている。しかしお付きの人はいない。たった一人で身軽に出掛けていく。重いカバンを2つ両の手に持ち、階段は一段飛ばし。エスカレーターなど使わない。歩くスピードも早いのなんの、若いものがついていくのがやっとだ。
 とにかく時間に無駄がない。飛行機の中であろうと、出番待ちの楽屋であろうと、少しでも時間があったら、原稿を書いている。待ち時間を少なくするため、携帯電話で、送迎の時間をこまめに連絡している。
 とにかく柔軟性がある。日野原さんが、朝食と昼食はジュースだけというのは、よく知られている。みんなで、お昼にお弁当を食べることになったとき、「日野原さんはどうされますか」と問うと、「夕食を抜けばいいんですから」と弁当に手をつけた。自分が食べたいだけ、無理をせずに食べている。融通無碍である。
 もっと、とっつきにくい人かと思っていた。もっと、人の話に耳を傾けず、自分の話ばかりする人かと思っていた。さにあらず、思い込みはすべて打ち消された。
 終始にこやかで、人なつこさいっぱいで、たくまざるユーモア精神があり、人の話にもきちんと耳を傾け、的をそらさぬ受け答えをしてくれる。行動は確かに超人だが、会ってみると、気のいい普通のおじいちゃんだった。

医師はかくあるべし

 日野原さんは、1911(明治44年)、山口県で生まれた。
 医師経験60年を超える日野原さんだが、若いころは、病気がちだった。10歳のとき、急性腎炎になり、1年間運動は禁止だった。好きなサッカーボールも蹴ることが出来なくなったが、母がピアノを習うことを提案した。音楽好きになったゆえんは、ここにある。
 長じて、京大医学部2年のとき、結核性の肋膜炎にかかった。安静第一で、1年休学。8ヶ月にわたって、トイレにも行けないほどの高熱が続いた。講義中も、背中に痛みが走った。体調不良のまま卒業することになる。
 そして、アメリカ留学のときも、レントゲンに写った影から、入国審査にひっかかる。2時間に及ぶ折衝の末、入団認可してもらう。「後に、よど号のハイジャックから解放されたときと同じくらい嬉しかった」
 痛みを知らない医師は、「これくらいの痛みは、我慢しなさい!」というが、日野原さんは、患者が背中の痛みを訴えると、母がしてくれたように、手を腰の下に入れて、患者の痛みを和らげる。

 患者体験を多く積んだことで、患者の気持ちもわかるし、患者として見た医師の気持ちもわかる。「医師は、死なない程度の病気をしたはうがいい」と若い医師に言っている。

 日野原さんに影響を与えた医師を、あえて二人に絞ってみる。一人は、慢性腎臓病の母の治療をしてくれた安永謙逸(けんいつ)先生。全人医療をする家庭医で、当時豊かでなかった日野原家のため、治療費も往診料も請求しなかった。そんな安永先生を見ていて、母は「どんなに貧乏な人のところにも往診するような医者になってほしい」と願った。「私にとって、医師としての原風景のような人だ」と日野原さんは振り返る。
 もう一人は、ウィリアム・オスラー。彼の著書を読んで感銘を受け、いつも目標としてきた。オスラーは「臨床医は、人間的な言葉と態度を持って、患者に接するべきだ」と述べている。近代医学を、病んだ臓器だけを対象とするものと考えず、人間の体と心と魂の三者を一体と考える全人的医療の基礎を築いた人だ。 医師と患者の心のつながり、絆を深めていくには、双方からの働きかけが必要だと説く。医師も患者も、「なぜ?」と言い過ぎる。「どうすればいいか」お互いに知恵を出し合って解決するようにしたらいい。
 医師によって、患者の気持ちは変わる。治療に臨む姿勢も、生きる姿勢も変わる。「何でもだめではなく、たまにはいいでしょ」で臨まないと息が詰まる。心臓に持病のある人が海外に行きたいと言ってきたとする。「そんなことをしたら、飛んで火に入る夏の虫だ!死ぬ気なのか!」では患者を萎縮させるだけだ。「余裕を持って、早めに空港に行って、ニトロ飲んでから、飛行機に乗ったらいいよ」と言えば、患者は笑顔で海外に飛び立てる。
 病気は、勇気のある人も臆病にし、忍耐強い人も我慢出来なくしてしまう。文筆の達人の作家でも、医師を前にしたら、言葉が出て来ない。作家の幸田文は、「言葉を試されているようだった。症状を聞かれてもしどろもどろだった」と書いている。患者が言葉を探しあぐねているのに、矢継ぎ早に質問して、答えを待つゆとりがないのが実態だ。
 患者の気持ちに寄り添える医師になるには、何より感性を磨くことだ。感性は、苦しい経験をしたり、病気になったり、苦しみに耐えたりすることで会得出来る。そして、日野原さんは、「医師には、感性を養う教育も必要だ」と力説する。それには、一般教育を4年受けてから、4年間医学の勉強をするようにしたらいいと考えている。詰め込みで勉強するだけでなく、絵画を見たり、音楽を聞いたり、もっと文化に触れる時間が必要だ。

 日野原さんの著書の中に、16世紀のフランスの医師バレという人の言葉が紹介されている。「治癒させることは、たまにしか出来ない。苦しみを和らげることは、しばしば出来る。患者の心を慰め、支えることは、いつでも出来る」

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
おなじの腕まくり「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第4金曜日 午前10時15分〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−58−1639

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