海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 

長野県諏訪市に住む画家の原田泰治さんは、日本の素朴画家とも言われる。懐かしい故郷の光景を、叙情感あふれる絵にしている。
 原田さんは、幼くして小児マヒになり、いまも足が不自由だが、父の武雄さんが、ハンデキャップを負ったと意識しないように、陰になり、日なたになり、支えてくれた。
 還暦を越えた今も、原田さんは、「とうちゃん、とうちゃん」と呼ぶ。「困ったときの道しるべを立ててくれたのがとうちゃんだった」

 とうちゃんのトンネル
 原田さんの父、武雄さんは、明治30年に生まれ、9年前に、96歳で亡くなった。看板書きの職人だった。子どもは二男二女。泰治さんは、末っ子で昭和15年に生まれた。
 武雄さんは、とにかく、創意と工夫、根性と努力の人だった。その最たるエピソードを、原田さんは、絵本≪とうちゃんのとんねる≫に描いている。
 武雄さんは、戦争のあおりを受けて、食糧事情が悪くなったことで、看板屋をやめて、開拓農民として、自給自足をすることを決意した。そして、現在の飯田市、当時の伊賀良村に移住した。最初は、慣れぬ農業に悪戦苦闘したが、次々、不可能を可能にしていった。たった一人で、家族のために全長40メートルのトンネルを掘り続けたのだ。
 当時、嫁入りするときは、赤飯で祝った。自分の家で取れた米で作るのが慣わしだった。水田を作るのが極めて難しい地質だったので、とうちゃんは、おかぼ(陸稲)の栽培を試みたが、うまくいかなかった。結局、姉の嫁入りは、近所で借りた米で作った赤飯で、祝うことになった。その無念さも手伝って、涙涙の門出だった。
 諦め切れないとうちゃんは、水脈を求めてトンネルを掘ることを決意した。とはいえ、水が出るのか出ないのか、何のあてもあることではなかった。来る日も来る日も、つるはし一本で、掘り続けた。原田さんも、学校帰りに、毎日、トンネルを見に行った。ある日、固い石にぶつかって、とうちゃんは、頭を抱えていた。
 原田さんは、とうちゃんを、励まそうと、トンネルの中に木琴を持ち込んだ。木琴は、とうちゃんの手作りだった。「こぎつねコンコン山の中・・・」トンネルの中に、木琴の音が響いた。とうちゃんも喜んでくれた。これが功を奏したのか、その数日後、ついに、水脈を掘り当てたのだ。掘り当てたとうちゃんの水のおいしさは、今でも忘れられない。
 諏訪に移り住んでからも原田さんは、苦しいことや、悲しいことがあると、伊賀良村に出掛ける。水はまだ涸れていない。水の音は、父の励ましの声に聞こえるそうだ。

 「泰治にとって、最良の医者は伊賀良村の土、最良の薬は太陽」ととうちゃんは言っていた。適度な斜面が、格好の歩行訓練の場になった。杖一本を頼りに、真っ黒になって遊び回るうち、一時は、立ち上がることも歩くこともままならなかった足の状態も、しだいによくなっていった。
 伊賀良村に住んだおかげで、虫の目、鳥の目で自然を見つめることが出来るようになった。原田さんの絵の原点は伊賀良村にある。実際、原田さんの作品には、幼いころの体験をもとにした絵が多い。「僕の頭の中には、VTRがあるみたい。伊賀良村の光景が、すぐ再生されるように出来ている。」と笑う。

 

とうちゃんのことば
 泰治さんが小児マヒにかかったのは、一歳を過ぎた頃だった。治療に明け暮れる日々の中で、生みの母・春江さんが35歳で急死した。ほどなく、自らも足の不自由な、か津みさんが後ぞえになった。おそらく、原田さんの足のことをおもんばかってのことだろう。このか津みさんが、泰治さんのよき理解者となった。
 とうちゃんは、いじめられて泣いて帰っても、同情したり、相手のことを怒ったりせず、「自分の道は、自分で切り開くんだ!友情は自分で作るんだ!」とハッパをかけた。
 遠足や修学旅行への参加を学校側に拒まれると、何度も掛け合って、自分がついて行くことで承諾を取り付けてくれた。息子に、団体行動に参加できないわびしさを感じさせたくない一心だった。小学校では名古屋へ、中学校では、京都・奈良へ、おんぶをして連れて行ってくれた。足が不自由なことを、悲観も卑下もせずに生きてこられたのは、とうちゃんのおかげだった。

 人生の節目節目で、とうちゃんのことばが、ずいぶん励みとなった。
 武蔵野美大を受けて落ちたとき、吉祥寺駅のプラットホームで、上りの混んだ電車と下りの空いた電車を何げなく見ていたときのことだった。「人生は、一方的に人の集まるところに行くだけが能じゃないぞ。空いている方で仕事するのも良し。混んでいるのが空いてから仕事するのも良しだぞ」
 絵が評価を受けはじめたころ、「人に浮かべてもらう船になれ」とクギをさされた。「はじめは小川に笹舟を浮かべ喜んでいたのに、今度は、諏訪湖にボートを浮かべたくなる。そのうち、外洋に出たくなる。ところが、調子に乗って大きな船を作り過ぎて、座礁してしまうことになりかねない。大勢の人に支えてもらう船にならないとだめ」というのだ。原田さんは、とうちゃんのことばを心の支えにしている。
 とうちゃんは、いつもすぐそばにいる。一緒に生きている。とうちゃんの笑い声、哀しい顔、励ましてくれた顔が、鮮明に蘇る。
 原田さんは、話の締めくくりに、とうちゃんに向かって、「僕、懸命に生きているよ。そして、みんなに愛されているよ」と語りかけた。

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画とは
「日本画の一つ、俳味のある酒脱な略筆の淡彩もしくは墨絵で賛などしたものが多い」
(広辞苑)