海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち

 野球を長く続けられるトレーニング
 炎天下、全力でプレーする高校球児たちの季節。球児たちは、あすのイチローや野茂を夢見て、白球を追う。
 夏の高校野球シーズンになると、高校野球の実況をしていたころを思い出す。取材で親しくなった監督が男泣きしながら胴上げされているシーンに、胸が熱くなったこともある。傍らでスコアーをつけていた少年が、代打に起用され、サヨナラヒットを打ったとき、心の中で拍手を送ったこともある。とにかく、高校野球は、血沸き肉踊るものがある。
 しかし、炎天下の連戦の肉体的疲労は、計り知れないものがある。汗だくになりながら、歯をくいしばってプレーする選手たちに声援を送る人は多いが、将来を嘱望される選手たちが、体の限界に挑んだ結果として体を壊して、表舞台から去って行ったことに思いをはせる人は少ない。
 コンディショニングコーチの立花龍司さんは、アメリカ大リーグや日本のプロ野球で、科学的なトレーニングを指導してきた。1メートル86センチの堂々たる体躯、真っ黒に日焼けした壮健な体躯は現役時代を彷彿とさせる。チ@
 コンディショニングコーチとは、選手の能力を高めて、いいコンディションで試合に出られるよう、様々なアドバイスをする。競技者の体調、トレーニング方法を管理して、ベストの力を発揮出来るように手助けする。また、故障を抱える選手のリハビリ計画を作り、そのためのトレーニングも指導する。
 いまは、週に2回、大阪の病院内の診療リハビリ施設で、医師と連携とりつつ、肩や肘などを痛め故障に悩むスポーツ選手たちにアドバイスしている。スポーツ医学とスポーツ科学が合体したトレーニングジムは、日本でも珍しい。小学生から高校生、現役のプロ野球選手など、のべ800人が通ってくる。
 施設の部屋の壁には、イチロー、野茂、ワールドシリーズMVPに輝いたランディージョンソンなどのユニフォームがかかっている。それを見るだけで、子どもたちは、「一生懸命トレーニングに励んで、憧れの選手を目指す」という気持ちになる。

 なぜ野球を楽しめないのか
 立花さんは、実は、野球が好きではなかった。幼いころ、野球中継は、大好きなテレビ漫画を邪魔するやっかいものだった。しかし、小学校3年生の時、父に連れられて見に行った南海ホークスの試合が、立花さんの人生を決めた。最初は、気乗りしなかったが、野村克也選手がホームランを打ち、小さくガッツポーズをしながらダイヤモンドを一周する姿を見て鳥肌が立った。紙吹雪が舞い、大人たちが立ち上がって拍手している。「一本のホームランでこんなに人を感動させられるんだ。ヒーローは実在するんだ」
 次の日からすっかり野球少年になった。南海ホークスのファンになり、ランドセル以外は、チームカラーの緑一色に染まった。でも、すぐに、楽しくなくなる。ホークスのジュニアチームに入ったが、「バットは短く持て、すり足で、上から叩け」と、一番から九番まで同じ打ち方を求められた。田淵幸一選手の真似をしていたら、怒られた。「してはいけない」と言われることがあまりにも多かった。

 中学校3年の時、全日本メンバーに選ばれ、アメリカ遠征に行って、またまたカルチャーショックを受ける。日本チームは、試合開始2時間前からみっちりと練習をするのだが、アメリカチームは、15分前に軽く練習するだけだった。全員が同じメニューで練習する日本チームに比べて、アメリカチームは、自分に合ったメニューで、思い思いに練習していた。試合運びも伸び伸びしていた。チームメイトが三振しても罵声は飛んで来ない。試合後も、すぐに空き地で白球を追う姿に心底、野球を楽しむ姿が見て取れた。
 大阪の伝統校・浪商に入ると、苦しい練習の日々が続いた。アメリカで見たものとは、正反対の日々だった。一年生だけで180人が入部した。生存競争は熾烈を極めた。高校野球で何を学んだかというと、「納得出来ないことでも、会心の笑顔でハイ!と返事することだった」と振り返る。レギュラーの座を勝ち取るために、肩が痛いとも言えないまま毎日毎日投げ続けた。自己流トレーニングで直そうとしたが、かえって悪化させてしまう。肩をかばってアンダーハンドで投げもしたが、投手生命を絶たれてしまった。
 立花さんは、それで挫けなかった。自分と同じような道を歩ませないためにも、選手を科学的にサポートする道を選んだ。大阪商業大学に進み、午前中は授業、午後は野球部の練習、夜は図書館でトレーニング理論の勉強を積んだ。そして、天理大学に編入して、生理学や解剖学の単位を取った。実績を作ろうと、民間病院の医学研究所に入り、スポーツ選手のリハビリを手伝った。そこでの評判が、プロ野球界にも広まっていった。
 立花さんは、近鉄、ロッテ、ニューヨーク・メッツで一人一人の選手と向き合いコンディション調整を図るコーチを務めてきた。
 立花さんが、科学的トレーニングを学んだ専門家として近鉄のコーチに招聘されたのは、1989年。野茂英雄が入団した年だった。
 全日本のエースだった野茂だが、入団当初、プロのパワーとスピードについていく自信がないようなことを訴えた。そこで、立花さんは、46歳まで豪速球投手として鳴らしたノーラン・ライアンの調整法を紹介した。それは、ウエイトトレーニング、ランニング、食事、メンタルトレーニングなど独自のメニューだった。「僕もやりたい」と興味を示した。その後の野茂の活躍については、言うまでもない。

 自分の歩んだ道を振り返るとき、野球を志す子どもたちへの接し方が重要だと考える。立花さんは、「選手のモチュウベーションを高め、手助けするのが、指導者の仕事だ」という。「高めを打つな!」と言われたら、高めの球に手を出したら怒られると萎縮してしまう。「低めを打とうね!」と言われたら、低めの球に集中出来る。言い方一つで、選手の気持ちは変わる。
 こどもの意志を尊重する気持ち、野球が楽しくて仕方ないという気持ちを、指導者が持つことが大切だと考える。「体を動かすのは心だ」と思っている。

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画とは
「日本画の一つ、俳味のある酒脱な略筆の淡彩もしくは墨絵で賛などしたものが多い」
(広辞苑)