海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
(十一)ニイル『問題の子ども』

◎教員時代@
35歳で愛知教育大学を卒業し、西尾市立西野町小学校の教師になりました。 しかし、西尾市内の小学校で勤務できるようになる前に、私は、目の前が真っ暗になるような激しい衝撃を2度も受けていました。教員採用試験の前と後の体験です。
 4年生になった時、そろそろ教員試験の準備をしようと思って、大学の生協の本屋で受験対策の本を探しました。そして、愛知県の試験案内を読んでいた時のことです。「受験できる者の年齢は30歳まで」と明記されていたのです。私は35歳でした。目の前が真っ暗になりました。何ということだ!私には受験する資格が無いのだ!しばらく茫然自失していましたが、次の但し書きが目に入って来ました。「但し、理科と数学と小学校教員希望者は35歳まで」。救われた!受験できる!
 2度目の衝撃は、教員採用試験に合格した後でした。合格したので安心していると、勤務先決定の通知が届きました。そこには「知多事務所管内」と書かれていました。当時、私は自動車の運転免許証を持っていませんでした。自転車しか乗れない私が、どうして三河湾を挟んだ知多に通勤できるのでしょう。単身赴任しか方法はありません。住んでいる碧南市で勤務できるとばっかり思っていた私も愚かでした。迂闊でした。当然自動車の免許を取っておくべきでした。
 すっかり動転した私は、すぐに県の教育委員会に電話しました。「妻子もいるので、碧南市内で勤務させてほしい」。勿論、私の希望は聞き入れられませんでした。
 事態が一転したのは、卒業式の前夜でした。西尾市の教育委員会から電話が来ました。「西野町小学校で勤務してもらえないか」。私は喜んで受諾しました。翌日は卒業式でした。式が終了した後、私は電車で知立から西尾まで行き、駅から市役所まで歩きました。教育長とも話をしました。私は意気揚々として家に帰りました。後で知ったのですが、西野町小学校に決まっていた先生が急に勤めることができなくなり、その代わりに私が勤めることになったのでした。 

 若くない新任教師として、私は5年生を受け持つことになりました。学年主任の藤井洋太郎先生は、私よりも年下でしたが、とても優秀な先生でした。生徒たちも素晴らしい子どもたちばかりで、私は本当に恵まれた環境の中でスタートを切ることができました。
 学校は矢作川の近くにあり、茶畑に囲まれていました。自転車で40 分ほどかかりました。毎朝、東に向かって、希望に胸膨らませて家を出ました。そして、夕暮れ、西に向かって、一日の勤めを終えた私は、満ち足りた気持ちで家に帰りました。
 教員生活を送るようになってから、私は教育に関する本をたくさん読むようになりました。ニイルというイギリスの教育家の著作を読んだ時、「ああ、いい本に出会えたな」と思いました。私が抱いていた教育観にぴったり合っていたのです。

◎『問題の子ども』
 ニイルの略歴。──
 1883年、スコットランドの田舎町で、近くの村の小学校長の三男として生まれた。母親も元教員だった。父親が校長をしていた小学校に入学したが、空想好きな彼は勉強に身を入れることができず、学業の成績はすこぶる悪かった。義務教育修了後、中学校に進まずに、ガス・メーター会社事務員、衣料品店の店員になるが、長続きしなかった。両親の勧めで父親の学校の見習い教師になる。4年間の見習い期間が過ぎ、グラスゴーの教員養成大学を受験したが、不合格。最下級の教員免許を得て公立小学校に就職。しかし、学校教育の現状に疑問を持ち、独学で大学への受験勉強を始め、25歳の時にエジンバラ大学農学部に入学。卒業後、雑誌社に就職するが、2年後に倒産。31歳の彼は、ある小学校の臨時校長になった。その後、自分の新しい学校を建設しようと努め、1924年、41歳の時にサマーヒル・スクールを開設した。『問題の子ども』『問題の親』『恐るべき教師』『問題の教師』『問題の家庭』などの著作を次々に出版した。1973年、90歳で死去。
 富士正晴という異色な作家がいました。彼の本を読んでいて、びっくりしたことがありました。ニイルの本を読んで自殺しないですんだ、と書いてあったのです。
 「自殺に至らなかったのは、ニイルの『問題の子』『問題の親』『問題の教師』などを読むことによって、自分の心の中の葛藤を解きほぐす術を自得して行ったからであろうと思われる。単なる学者の人生論などではどうにもならない」(『同人雑誌四十年』)
 ニイルほど自由と愛を主張し、それと同時に実践した教育者は少ないでしょう。あらゆる権威と権力を捨てて、愛だけで子どもたちに接したのです。 彼の作ったサマーヒル・スクールは、このような自由な学校でした。
 「出たくなかったら、何年でも出なくてもよい授業」
 「生徒からファースト・ネームで呼び捨てにされる教師」
 「大人も子どもも同じように一票を持って参加する全校集会」
 「盗癖の有る子と一緒に隣の家へニワトリを盗みに入る校長」
 ニイルの著作には、どれも同じようなことが書かれています。具体例が豊富で、ユーモアに溢れています。よほど柔軟な頭脳と精神の持ち主でないと、とてもこうは書けません。『問題の子ども』(霜田静志訳)から少し引用します。

 子どもに向かって「利己的になるなかれ」と言うのは間違っている。子どもは本来利己的なものである。子どもはこの世界を自分のものだと思っている。子どもの意志の力は強い。彼がリンゴを持っている時、彼のただ一つの意志は、それを食べようとするところにある。だから、母親がその子に向かって、そのリンゴの半分を弟に分けさせようとする結果は、その子が弟を憎むようになるばかりである。

 人の性は善である。人間は善をなそうとしている。愛し愛されんことを望んでいる。憎悪と反抗とは、単にゆがめられた愛であり、ゆがめられた力であるにすぎない。

 自由学校においては力の要素は除去せられる。(中略)子どもたちは私に対しても、その尊厳を認めて尊敬するなどということはなくて、私を「バカ」と言ったり、「とんま」と言ったりすることさえある。一般に、子どものこういう言葉は親愛の意味である。決して蔑む意味ではない。


【杉本武之プロフィール】

1939年 碧南市に生まれる。
京都大学文学部卒業。翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。25年間、西尾市の小中学校に勤務。定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。
(趣味)読書と競馬