海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
パーソナリティ(以下P嬢)
「お待たせしました。きょうのゲストは音楽家で日本舞踊家の柴信次/藤間勘萃さんです」
ぼく
こんばんは。(ここからは歌舞伎の口上風に)柴信次こと藤間勘萃にてござりまするぅ〜」
P嬢
「あっはっはっ…ありがとう…あははは…ございます」
(ぼくが生演奏をするためスタジオに持ち込んだバロック・リュートをしみじみと眺めながら)
P嬢
「その楽器は弦がたくさん張ってあるんですねぇ」
ぼく
「そうなんです。24本も張ってあると、あれっ!この弦を弾くのは何年振りかだぞ…なんてこともあるんですよ」
P嬢
「へえ、そうなんですかぁ!」
ぼく
「ウソです」
P嬢
「あっはっはっ…騙されたぁ…あははは」
 先ほどから、ぼくの仕様のない話を「あっはっはっ…あははは」と受けてくれているこの番組のパーソナリティこそ、十数年前から折に触れ舞台をご一緒しているヴァイオリン奏者のア山弥生さんだ。彼女は、ぼく(作曲家/日本舞踊家)のつくる『京懐石バロック仕立て』的な音楽のことを、分け隔てなく丁寧に奏でてくれる数少ない演奏家のひとりだ。だからというわけでもないのだろうけど、彼女とのコラボレーションの舞台は、『豊田市能楽堂』、『寂光院(犬山市)』、『名古屋市能楽堂』などなど…と、ぼくたちクラシック音楽の奏者にとっては、ちょっと風変わりな空間ばかりだ。
P嬢
「ここで、柴さんのリュートとわたしのヴァイオリンとの二重奏をお聴きいただきましょう。曲目の紹介を柴さんからお願いします」
ぼく
「では、京都の風情を音に紡いだぼくの『抒情洋琴曲集』から、はじめに、ぼんやりと春の雨にけぶった大覚寺を眺める『大沢池畔の桜雨』を…。二曲めは、初夏に花菖蒲や杜若が池のほとりで咲き競う『梅宮大社神苑』を。弥生ちゃんは花菖蒲と杜若…どっちの役をやってくれますか?」
P嬢
「うーん、どっちにしようかなあ…じやあ、花菖蒲を」
ぼく
「ぼくは、その葉っぱの役をやります」
P嬢
「あっはっはっ…あははは」
♪柴信次/藤間勘萃+ア山弥生『大沢池畔の桜雨』、『梅宮大社神苑』
(生演奏が終わって)
P嬢
「それではおしまいに、柴さんからリスナーのみなさんヘメッセージを」
ぼく
「ぼくの芸を聴いたり観たりして下さる方々に夢をお裾分けできるよう、精々、浮き名を流して精進します(何だそれ!)
P嬢
「あっはっはっ…あははは」

 ぼくがゲストでお邪魔したNHK・FM『FMトワイライト』(4/2放送)がステレオから流れている。ここは、ぼくがアトリエにしている名古屋は金山の裏通りにあるワンルーム・マンションの一室。作曲や編曲、バロック・リュートやチェンバロの譜読み、踊りのおさらい、共演者とのリハーサル、編集者やプロデューサーとの打ち合わせ…ぼくは仕事のほとんどをここでする。
 初めのうち、お越しいただく方々にお茶をお出しするだけだったのだが、ぼくが呑ん兵衛なせいもあって、いつの頃からかお茶はお酒へと挿げ替わっていった。そうなると、それまで入り浸っていた古い友人たちのほかに、弟子たちやら、仕事上のちょっとした知り合いまでもが夜ごと繰り出してくるようになり、遂には、『柴Bar』などと勝手に屋号まで付けられる有様で、だけど、お銚子、いや、お調子者のぼくにはそれが満更でもない。
 ところで、『おもてなし』には思っていた以上に想像力が要る。この人はどんなお酒が好きなんだろう?…このお酒にはどんな肴が合う?…BGMは?…などなど。
 こういうことに心を砕くことは、芸事でみなさんのおもてなしをするぼくにとっても、いい修業になっている。
BGM♪ジェイムス・テイラー『ダディーズ・スマイル』収録曲『憶い出の町』。バブルの頃、カフェ・バー(懐かしいっ)でよく流れていたなぁ。

♪ピンポーン
♪ピンポン、ピンポーン。

 やって来たのは常連のJ嬢とM嬢だ。彼女たちは、ぼくが大学の教壇から離れていたここ数年、とあるお仕事で毎日のように顔を合わせていた同僚(?)で、一年半ほど前、『柴Bar』から歩いて10分ほどのマンションに引っ越してきてルームシェアをしている『ご近所さん』だ。とはいえここ金山は、彼女たちの通勤にとって、とくに便利というわけではない。彼女たちの職場のある伏見へは、ぼくのように自転車少年…(失礼)中年なら、広い伏見通り(国道19号)を北へと進路を取り、近づいては遠ざかる東別院、大須観音、白川公園(名古屋市科学館や名古屋市美術館のある)を走馬灯のように辿って15分。だけど、交通機関を利用する彼女たちにすれば、地下鉄で…というのでも乗り換えが必要だし、JRか名鉄で…というのでも地下鉄への乗り継ぎが必要だ(ふぅっ)。だから、彼女たちが金山に引っ越してきたのは、「もしかすると『柴Bar』へ通いたいからなんじゃないか?」…なんて自惚れている。
BGM♪リッキー・リー・ジョーンズ『ポップ・ポップ』
『柴Bar』の定番。漫画チックなジャケットからは想像できないシックでメローなナンバーが次から次へと繰り出される。
 彼女たちが、机に広げられた原稿用紙に目を留めた。
「ああ、それ?今書きかけのエッセイ。きみたちにもお正月号を読んでもらったよね、『ちたろまん』…今年、20周年だって。」
 20周年といえば、生まれたての赤ちゃんが大人になるタイミングだ。ぼくの二十歳の頃はといえば…
 ちょうど今から30年前の大晦日の晩。明久(プロフィール参照)と連れ立って近所のゲーム・センターでピンボール・マシンに耽っているうちに、こともあろうに年が明けてしまった。
 取りあえず初日の出とのツー・ショットで写真に収まってみた頭のキレる男の子たち…オヤジ・ギャグです(ピンッとこない方は、もう一度右の写真と睨めっこをして下さい…ねっ)。
 「こんなことではダメだ」と改心すべく、ふたりして朝から、カトリック教会のミサ(初詣?)に行った。

 すでに洗礼を受けていたぼく(洗礼名:ヨハネ)は、この頃、毎週日曜の朝、ミサでオルガンを弾いていたっけ。『バッハの伝道師』を夢見ていたぼくが修業として選んだのは、キリスト教、ドイツ語、それから、バロック時代(1600〜1750頃)に流行ったダンスだった。音楽を修業するのに楽器の練習に明け暮れているようじゃすぐにお里が知れてしまう(楽器なんぞ、余程のおたんちんでもなけりゃあ長く弾いているうちに上手くなるものです)。
BGM♪センチメンタル・シティ・ロマンス『センチメンタル・ライブ』
結成35年の名古屋の老舗ロック・バンド(何と!『名古屋市芸術奨励賞』も受賞した)。中でもキーボードの細井豊さんは知多のご出身。収録曲『雨はいつか』は、かの加藤登紀子さんもカバーする名曲です。
 テーブルを離れたJ嬢が、ぼくの仕事机にちょこなんと座り、ぼくが仕事の合間に目を遊ばせているエッセイやら写真集やら絵本やらを、ぱら、ぱらっと繰る。
村上春樹  『カンガルー日和』(平凡社)
村上春樹・安西水丸  『象工場のハッピーエンド』(CBS・ソニー出版)
村上春樹  『ランゲルハンス島の午後』(光文社)
村上春樹・すぎやまこういち  『ピンボール・グラフィティ』(日本ソフトバンク)
大倉舜二  『作家のインデックス』(集英社)
高橋岳志  『明治・大正のあかり〜電笠』(里文出版)
角田多佳子  『別冊太陽・京都で学ぶ日本のインテリア』(平凡社)
久住昌之・谷口ジロー  『散歩もの』(フリースタイル)
織田紘二・中嶋典夫  『ぜんぶ芸のはなし』(淡交社)
 ヘンデルの歌曲を練習するぼくにイタリア語を指南してくれるほどインテリなJ嬢。それでいて、お気に入りの『フリッパーズ・ギター』のご機嫌なナンバーがステレオから流れてこようものなら、まるでゼンマイ仕掛けのおもちゃみたいに歌い踊りだすキュートな女の子だ。
BGM♪エラ・フィッツジェラルド/ルイ・アームストロング『エラ・アンド・ルイ』これぞジャズの名盤(言うことなんて何もないじゃない?)。
BGM♪TOKU『ビーウィッチング』この若きジャズの天才(日本人です)に、フリューゲルホーンとヴォーカル…天が二物を与えています。収録曲『ビーウィッチング』は、昔懐かしい海外TVドラマ『奥様は魔女』のテーマ音楽だった。
BGM♪TOKU『ケミストリー・オブ・ラブ』
収録曲『ユー・アー・ソー・ビューティフル』の、甘いこと、切ないこと…。

 金山には、『柴Bar』のほかにも(というものオコガマしいのだけど…)、呑ん兵衛のぼくがすぅっと吸い寄せられる何軒かの飲み屋さんがある。
 町工場が立ち並ぶ中にぽつねんと店を構えるH酒店は、ごく普通の酒屋さんなのだが、その店先で「ちょいと一杯のつもりで」引っ掛けることのできる、いわゆる『角打ち』のお店だ。客はビールを勝手に冷蔵庫から取り出し、店内の陳列棚から缶詰や魚肉ソーセージやピーナッツやさきイカ(いわゆる『乾きもの』おつまみ)なんかを物色して思い思いにヤルのである。愛想のいいおばあちゃんが出してくれる冷や奴やどて煮もイケる。爛酒は、おばあちゃんが昔ながらのちろり≠ナ温めては手元のコップに注いでくれるのだが、その折、小皿に麻雀パイをひとつ入れて行く。帰る時には、テーブルに並んだビールの空き瓶+お惣菜の小皿の数+乾きものの空きパッケージの数+小皿に入れられた麻雀パイ=お勘定…と相成るのだ。
 JR中央線のガード下にある立ち呑み屋のOも、イカしている。まず客たちは店内の両側に細長く設えられたカウンター・テーブルに陣取ると、目の前に置かれた小振りのすり鉢にゴソゴソと財布から取り出したお小遣いを入れる。注文した品が運ばれる度に店員さんがそこから代金分を抜き取っていく…といった風変わりなお勘定の仕方。クリームチーズに鰹節とネギをのせ醤油をかけて冷や奴風に仕立てた創作おつまみも絶品だし、ジョッキの生ビールが300円!ハイボール(何と!生ビールと同じ大きさのジョッキで運ばれてくる)も驚きの350円!そんなふうだから少しばかりのお小遣いでベロベロだ(もとより立ち呑みなので体力的にも長っ尻はできないのだが…)。
 この二軒を、ぼくは弟子のSから教わった。呑ん兵衛でろくでなしのSとぼくは、連れ立って呑み歩いた帰りに、決まって、歩道狭しと蛇行しながら「三歩進んで二歩下がる」的歩行を披露するのだ。「ぼくたちが酒好きなんじゃあない、お酒の方がぼくたちを愛して止まないんだよなぁ」なんて手前勝手なことを言いながら…。
BGM?斉藤哲夫『ゴールデン・J・ポップ/ザ・ベスト斉藤哲夫』
収録曲『さんま焼けたか』では、懐かしい下町の露地の風情を味わえます。

 ふと見ると、J嬢が今度は机の上の赤い色をした万年筆(赤インクを詰めて書き物の修正に使っている)を手にとって、メモパッドに何やらコリコリと書いている。

 万年筆
 朱いやつ!
 乾くのわかるインクの溜まり
 壊れやしないか
 ふたまたの繊細なこと
 繊細なこと

 「ふたまた」という言葉は、ぼくたち男の子を、時にドギマギさせる。身に覚えがあっても、なくても…。
BGM♪キリンジ『KIRINJI◇3』パルコにある洋服ショップでたまたま耳にした収録曲『エイリアンズ』がすっかり気に入って…。

 「柴さんは、いつも忙しそうねぇ」と彼女たち。「その通りっ!明日の夕方も『古川美術館』(名古屋・千種)という所で、朗読をされる山田あき子さんとご一緒させて、いただくんだ」とぼく。
 ぼくは、50歳になった。これまで、ずぅっと、ぼくを捉えて放すことのなかった芸事を仕上げる時が来た。「今のところはこれくらいの仕上がりでいいだろう」などと屁っ放り腰で舞台に掛けてきた演目も、これからはそうはいかない。だから、明日のコンサートでは、ぼくの楽師としての夢であったバッハの弾き歌い≠掛ける覚悟でいる。
 「80歳になるリュート弾きがいたら、彼はそのうちの60年を調弦(弦の音を合わせること)に費やしただろう」という300年前の笑い話があるほどバロック・リュートは厄介な楽器だ。たった6本の弦を右手の4本の指で奏でるギターに比べても、24本もの弦をやはり右手の4本の指で奏でるリュートの厄介さをお分かりいただけるはずだ。そんなリュートを片手にドイツ語でバッハを弾き歌おうというのだ! 
 ぼくのこの世にもクレージー≠ネ夢への無謀なチャレンジは、こんなふうに始まった。十数年前のとある日、ぼくはいつも通り、踊りをさらっていた。何度も何度も繰り返し流される長唄。少し踊り疲れていたぼくは、知らぬ間に音楽としての長唄に耳を委ねていた。歌と伴奏の時間的な縦の線(リズム)が、時に揃い、時に無関係にズレを生じながら、それでもまるで「こんなことは何でもないんだよ」といった自然さで弾き歌われている長唄がそこにあった。「あれっ、ちょっと待てよ」…ぼくの中でバッハと長唄が繋がり、そして、柴信次(音楽家)と藤間勘萃(日本舞踊家)が繋がった瞬間だった。「それなら、旋律の綾が縺れ合っているバッハの歌曲だって弾き歌えるはずだ!…でもなぁ、こんなことはかつて誰もしようとしなかったのだから、そもそも無理なことなのかもしれない…いやいや、思いついたことをしないんじゃ、思いつかなかったことと同じじゃあないか!」
 ぼくがもし美声の持ち主だったなら、楽器など弾かず歌だけを歌うだろう。そして、ぼくの指がもし類い稀なテクニックでチェンバロやリュートを鳴らすのだったら、歌など歌わず楽器だけを奏でるだろう。美声と超絶技巧…そのどちらをも持ち合わせていないぼくにとって、バッハの弾き歌い≠ヘ、いつか辿り着くべき領分≠セったと思っている。
 翌日の『金曜ナイトミュージアムコンサート』は、結局、こんなふうになった。
一、♪バッハ『主よ、人の望みの喜びよ』
  山田女史の朗読する訳詞に被せてドイツ語で弾き歌った。
二、♪バッハ『二つのガヴォット』
  リュートで独奏(これが真っ当なやり方だ)。
三、♪エリック・クラプトン『ワンダフル・トゥナイト』
  山田女史の朗読する訳詞に被せて英語で弾き歌った。メロメロのラブ・バラードを?バッハ『片足は墓穴にありてわれは立つ』という悲痛な教会音楽にのせて歌う…といった際物だった。
四、萩原朔太郎『竹』
  山田女史の朗読に♪バッハ『ガヴォット』をリュートで添えた。
五、山村暮鳥『春』
  山田女史の朗読に♪バッハ『楽しき狩こそわが愉しみ』をリュートで添えた。
六、芥川龍之介『蜘蛛の糸』
  お釈迦様の立つ極楽の蓮池の場面には♪自作曲『梅宮大社神苑』(前出)、キーワードである蜘蛛の糸がスルスルと下りる場面には♪自作曲『円山公園』、オドロオドロしい地獄の様子が朗読される場面には、キリストの受難を描いたバッハの代表作♪『マタイ受難曲』から『われら涙流しつつひざまづき』(ミスマッチが面白かったなぁ)を添えた。


プロフィール
写真・加藤明久
1958年、名古屋に生まれる。
中部写真プロダクションXにて、コマーシャル・フォトや行政のポスターなどを数多く手掛ける。フリーを経て、現在、東海写真スタジオ株式会社代表取締役社長。
ちなみに、ふたりは、高校の同級生。おまけに加藤の細君も同級生。
文・柴 信次(しば しんじ)/藤間勘萃(ふじま かんすい)
1958年、名古屋に生まれる。高校在学中から舞台に立ち、名古屋音楽大学では、作曲を専攻する。1984年からの20年にわたる教職(日本福祉大学)を経て、現在、作・編曲家、楽師、日本舞踊家(宗家・藤間流名執)として、名フィル(室内楽)との共演をはじめ、年間100本に及ぶ舞台やレコーディングに携わる傍ら、教則本やエッセイを数多く執筆する。ライリッシュ・オカリナ連盟、琴修会(大正琴)音楽顧問。日本福祉大学講師。