海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 1.石黒謙吾さん
 (著書「盲導犬クイールの一生」がベストセラーになった方、編集者でもある)の場合

 石黒さんに初めて出会ったのは、ネット上のコミュニティ「100冊倶楽部」の編集会議の際である。
 私は何故か、原稿の順番決めの担当になっていたため、一人で仮に順番を決めなければと思っていた。ただ、私も、一応私が順番を決めた後、思い切り、変更されるのだとばかり考えていた。しかし、石黒さんは本気だった。私が順番を決めたとおりになり、全く変更を加えなかったのである。それには正直言ってびっくりした。
 最終的には編集者を現役でやっている石黒さんが見直して、かなりの変更を加えるのだと信じて疑わなかったからである。そのときに、石黒さんは、一度人を信用して任せたら、余計な口出しをしない人だと知った。すごく信頼がおける人だと思った。
 本ができるまで、編集メンバーとはかなりやり合い、もちろん、石黒さんとも激しいメールのやりとりをした。石黒さんはとても仕事には厳しい人で、容赦はしないし、こちらも黙ってはいられない性格で、徹底的に疑問点は解消するまでやるので、結構ぶつかったりもした。
 しかし、本が出来てからは直にメールをやりとりすることもなくなっていた。
 そんな折り、久々に石黒さんから個人メールが届いた。何でも、「犬がいたから」という初めての短編小説を出版したので、告知等の協力をお願いできないか?というメールだった。協力してもらえるのであれば、本を送りたいとも書いてあった。
 私はすぐにOKの返信を出した。とてつもなく嬉しかったからである。石黒さんのような方が私に何かを頼んでくるとは思ってもみなかったし、告知依頼ということは、少なくとも私の告知力を評価してくれていることになるからである。
 程なく、石黒さんから本が送られてきた。大泣きできないけれど、しみじみと心にしみてくる本である。人間の気持ち、犬の気持ち、犬を通してみた人間の気持ちなど、本当に犬好きにしか書けない小説だと思った。
 7つの小説のうち、4つがほぼ体験談に等しいとのことで、石黒さんの人生とダブらせて読んでしまった。
 それぞれの短編小説にはオススメの曲まで紹介されていて、また、芸大を三浪してまで油絵の画家を目指していたという、石黒さんの細かい描写力、匂い、触感と相まって、実に見事な、まるで映画のような味わいのある小説集となっている。実際に映画化の話もきているらしい。
 そして、あまりに素晴らしい短編小説集なので、朗読会を開きたいということを提案したところ、石黒さんは、快諾してくださった。
 本の宣伝用のポストカードが足りなくなったので、さらに追加で送ってくださいとメールをした。
 そうしたら、石黒さんの著書を一緒に送ってきてくれて、サブカルチャー系の本がたくさん入っていた。
 この手の本はあらゆるジャンルへの関心と造詣、幅広い知識と深い教養がないととても書けたしろものではない。
 皆がなぜ、あれほどまでに、石黒さんをリスペクト(敬愛!?)するのかが、理解できたような気がした。
 石黒さんのように寡黙で、シャイながら、才能に溢れ、あらゆる分野に精通し、かつハートが熱い人は、本当に応援される理由があると思う。
 とてもすごい方なのに、謙虚だし、一生懸命だし、彼の本を読むととても切なくなる。
 幼いころ両親が家にほとんどいなかったので、犬と育ったようなものだったらしいことや芸大三浪中は、自分の才能とのせめぎ合い、絶望、寂寥、焦燥を感じたり、バイト先の名曲喫茶まで閉店になり、行き場を失ってしまう自分と裏口につながれていた犬の描写がリアルで、痛々しいほどである。
 そんなシリアスな描写をするかと思えば、メールのやりとりは軽快で、こちらが浮き浮きするくらいである。ハードボイルドな感じとおちゃめな感じ、熱いハートを持った石黒謙吾さんは、複雑な魅力をもつサブカルチャーの星として、これからもずっと皆からリスペクト・応援され続けることだろう。

2.溝江玲子さん(童話作家)の場合

 溝江玲子さんのことは以前から存じ上げていた。それは、NPO知的生産の技術研究会の会員さんだからである。
 あるとき、諏訪仁さん(同じく会員の)からメールが来て、溝江玲子さんを是非、東京に招いてセミナーをやってはどうかという提案が書かれていた。
 私は、会長に相談し、すぐOKの返事を出した。
 それから、程なくして、上京するので、一度セミナーの打ち合わせをすることになって、初めてお会いした。
 溝江さんは、笑顔のすてきな方で、もうすぐ70才になろうかというのに、ものすごくパワフルである。それに何の苦労もなく、すこぶる幸せで、才能の溢れるままに童話や絵本や小説を、書いているという感じを受けた。
 打ち合わせの際に、ラジオの収録の話になり、神戸の近くに行ったときには、是非、ゲストで呼んでくださいね!という世間話をしてその時は別れた。
 その後、関西に行くので、もし、日程さえ合えば、ラジオのゲストとして呼んでくださいね!というメールを送った。
 そうすると、溝江さんは、収録の日を私に合わせて変更してくれ、私はラジオの番組になんとゲスト出演することになってしまった。
 溝江さんは大変親切にしてくださり、ゲストとしては異例の4本録りをさせていただいた。
 その中で、溝江さんが、「ドウガネブイブイ」という本を朗読していたのだが、どうして、ご自分の息子さんが小さいときに書いた詩や日記と、院内学級の先生との対話の本を今ごろ読んでいらっしゃるのか理解できなかった。
 それから、私はお好み焼きをご馳走になったお礼に、クリスマスプレゼントを贈った。そうしたら、今度は溝江さんが、「ドウガネブイブイ」を贈ってくださった。あの、放送中に溝江さんが読まれていた本だわと思いながら、めくって行った。
 それには、雑誌の記事の写しがつけてあった。溝江玲子一家が大変な困難を乗り越え、今やっと幸せが訪れているという内容であった。その記事には「コガネムシの詩」とタイトルがついていた。
 溝江さんの本のタイトル「ドウガネブイブイ」は、コガネムシ科の昆虫で、頭が長いことから、コガネムシとは区別されるらしいことがわかった。ただし、コガネムシ科に属するものを総称して、コガネムシと呼ぶ場合もあるらしいので、「ドウガネブイブイ」をコガネムシと呼んでもあながち間違いではないようである。また、いわゆる「コガネムシ」に比べると色がニブイ色をしているそうである。
 溝江さんはご長男のジュン君が腎炎で入院したが、そこには、退院予定が未定という子供たちがたくさんいたそうである。つまり、いつ治るともしれないということで、どうも暗い雰囲気が漂っていたらしい。
 ジュン君も入院して退院のめどが中々立たないため、どんどん勉強が遅れてしまう。そこで溝江さんが署名を集めて、院内学級を実現させた。
 らがなも満足に書けなかったジュン君だったが、院内学級の杉本先生と、詩や日記を通しての交流を図るようになり、自らの才能に目覚め、自信をつけていく。愛情いっぱいにあふれた杉本先生の存在は大きく、その後の人生を頑張って生きていくことになる。
 長男のジュン君はやっとの思いで退院して、学校に復学しても、イジメがものすごく、不登校になってしまう。また、次男までが不登校に。そして、溝江さんはさすがに、ずっと続けてきた職場を辞めることに・・・。
 さらに追い討ちをかけたのは、溝江さん自身のガンとの闘病生活だったという。このまま死んでしまいたいと何度も思ったが、子供が大きくなったときに、母親が自殺したことを知ると、一生心の傷が残ると考え、思いとどまったという。
 溝江さん一家が偉いのは、どんなにつらい、無気力な状態であっても、月に一度必ず編集会議を開き、そのときはお寿司を奮発して、家族新聞(B4一枚で、両面の手書き)をずっと10年以上出し続けてきたことだ。
 溝江さんが提案し、家族がそれぞれ役割を分担して始めた家族新聞は、家族の絆を強くし、ばらばらになりそうだった家族を支えつづけてくれたのだろう。
 長男のジュン君は現在、40才、イラストレーターや装丁家として活躍しており、次男のコウジ君はHPの作成などを手がけているそうである。
 おそらく信じがたいほどの困難と繰り返しくる災難、先が見えない不安と焦燥に駆られながらも、家族を守り家族を支え続けた溝江さん。
 すごい女性、というか、さすが母は強しだとつくづく思う。
 私とラジオの収録をしていても、セミナーの打ち合わせをしていても、お好み焼きを食べていても、昔の苦労話は一切しなかったし、微塵も、苦労のあとを見せない溝江さん。
 おそらく、あの雑誌の取材記事をきっかけに話をきかなかったら、一生、溝江さんのことを本当に知ることは出来なかっただろう。
 応援される人というのは、苦労を顔に出さない人、そして人に温かく、前向きで、いいことだけを考えるプラス思考の溝江さんのような方をいうのかもしれないとつくづく思った。

著者紹介
秋田英澪子(あきた えみこ)

大学を卒業後、国際法律特許事務所で所長弁護士秘書を務める。その後、コンサルティング会社にて、知的財産権担当、社長秘書、経理、NPOの事務局担当等を務める。現在は、作家、ビジネス・縁・プロデューサー、キャリアカウンセラー<伯楽>、図解の技術研修インストラクター、チャンス★コーディネーターとして活躍中。全国に会員がいる教育関係のNPOの事務局長として、精力的に幅広い活動も行っている。著書に「自己啓発のための知的勉強法」日本能率協会マネジメントセンター刊(共著)、小冊子に「一期二会『もう一度逢いたい人』になるために」、講演録に『講演と新聞・雑誌の取材依頼が殺到! それは1冊の小冊子から始まった』がある。