海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
『ちたろまん』とのご縁

 もともと記憶力の弱い私であるが、それに75才という、人生を逆算できる年齢になった現在、その力は日々低下し、極限状況を更新している。それを補うために、以前から辞書や資料とりわけ年表の類は手放せない。手軽に身近において活用できる年表として学生諸君に推奨してきたものに、『年表 昭和史1926−2003』(岩波ブックレット 580円)がある。こゝに、自分や家族・知人の誕生日や必要事項を記入し、「自分史的年表」を作ってみることも提案してきた。自分を社会的歴史的に認識する視点や関心を、育てるようにとの思惑もあってのことである。私もその例外ではない。
 これらの資料によると、私と『ちたろまん』とのご縁は、1989年(平成元年)にまでさかのぼる。19年も前のことである。当時誕生された赤ちゃんは、成人式目前ということになる。私共の子ども時代には「十年、ひと昔」と言われたものだが、時の流れや時代の変化の早い今日は、「十年何に昔」と言えばよいのか。国民的には、昭和天皇の逝去の年であり、消費税々率3%スタートの年でもあった。
 私は56才。働き盛りの年であり、日本教育学会理事に選出された年でもあったが、私の主要な関心事は、教育学者の一人として、人間を育てる教育制度とは対局にある「詰め込み教育・暗記学習、テスト・選別・競争」を益々助長する、地元愛知県の高校入試「複合選抜制度」を、思い止まらせることであった。
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 このテスト・選別・競争の教育体制づくりは、1961年(昭和36)に、実施された、文部省主催の「全国中学校一斉学力テスト(調査)」に始まる。その目的は、前年閣議決定された「国民所得倍増計画」(昭和36〜45年度)に必要な人材を開発するための基礎資料を得ることであり、そのための高校入試制度の改革であった。調査結果によると、この経済の高度成長計画を実現するために必要な、トップレベルのエリート人材は、「同年齢層の3%あればよい」ことが明らかになった。以後、この3%のエリートに選抜されること目ざして、際限のない受験競争が展開され、低年齢化し、今日に至っている。

 この間、教育基本法に定められた第一条(教育の目的)「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」という普遍性をもった『人間を育てる教育の目的』は、空文化され、教育を経済発展のための“人材開発”に変質させ、人間をそのための人的資源に矮小化してきてしまった。
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 この全国一斉学力テストの洗礼をうけた中学2・3年生は今や60才・61才になっている。言い換えれば、教育基本法の規定する人間教育ではなく、経済発展のための人材として開発・選別されてきた「人材」が、60才・61才にまで、今日累積されてきている、ということになる。
 人間にあるまじき行為を、「非行」というのなら、今や非行は、子ども・青年に止まらず、国や地域の指導者であるべき政・官・財界、教育界、家庭の親にまで、現実多様に表れてきている。人間として大切に育てられてこなかった結果である。この教育体制の改革なしには、「教育・人間の再生」は、ありえないと確信し、今日に至っている。
 そんな中、原稿執筆をお受けした動機は、発行者の赤井さんが「新聞を販売するだけでなく、自分も知多の地から文化を発信したい」という人間的願いの持ち主であることを知ったからであり、いたく共感したからである。私も「人間と教育再生」への思いを込めて、その気になって歳時記風に一年間書き綴った。
 人間は、共感すること、その気になることで生き生きし、充実した生活が送れることを実感させて頂いたご縁であった。この十二篇の記事は、大切に保存し今も時々読み返している。

『バリ島』とのご縁

 私がはじめてバリ島を訪れたのは、1992年還暦を迎えた年である。当時バリ島は、「神々の島」「地上最後の楽園」などと観光業者が日本にも華々しく紹介し、大量の日本人が老若男女を問わず訪れていた。日本ではすでに失われた自然と、それと共に生きるバリの人々の暮らしと文化を求めてのことだったのだろう。私の妻も80年代半ばから、すでに毎年、縁を結んではグループで訪れていた。音楽・舞踊を求め、染色・織物を求め、絵画・彫刻を求めてのバリ島ツアーを楽しんでいた。
 バリ島は、南緯7〜8度のジャワ島の東に浮ぶ小島である。そうは言っても愛知県とほぼ同じ広さ(5633ku)あるというから「小さいようで大きい島」というのが私の実感である。島の中央北寄りには東西に貫く中央山岳地帯が走り、二、三千米級の山々がそびえ立ち、南に向かうはげしい山麓がやがてゆるやかな斜面・平野を形成し、山々からの湧き水が幾条かの水路となり、斜面を潤し、人々の生活を潤している。
 気候は典型的な熱帯性気候。一年間は雨期(12月〜3月頃)と乾期(4月〜11月頃)に分れ、年間平均気温は約24度〜31度とその差も少く、湿度は7・80%といわれている。私が滞在する山麓に近い農村では、日中の直射日光を避ければ、水田やヤシの林、深い谷川と森をわたる涼風に吹かれて、早朝は20度前後の極めて快適な気候である。
 家々の敷地の中にも色とりどりの花が咲き乱れている。日ごろ無知無関心であった私でさえ、目を見張るほどである。真っ赤なハイビスカス、濃い桃色のブーゲンビリア、清楚で白い花ジュプン。近づくとかすかに、くちなしの花に似た甘美な香りがする。
 その花を気軽に摘んでは大人も子どもも耳もとにさして、おしゃれを楽しんだり、路傍の苔むした石佛の耳もとまで、赤や白の花が一輪さしてあるのを見かける。人と神と自然の一体感を表現しているのだろうか。それともバリの人々の美学の表現なのだろうか。そんな問いを抱くこと自体が不自然に感じられるほど、自然と神々と融合して生きるバリの人々の日常生活を垣間見る思いである。夜は満天の星である。
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 私がバリ島の子どもと出会ったのは、1979年(昭和54)。この年は、国連提唱の「国際児童年」。日本での中央会場は現在のあいち万博記念公園。呼びかけは「発展途上国の貧しい子どもたちに学用品を送ろう」というもので、それなりに有意義なものであった。当時NHKや在名民放各局で、子どもと教育に関するTV番組づくりにかかわっていた関係上、会場を度々訪れ、催事や展示を取材や中継をとおして、数本つくっていた。その中にバリ島の子どもの写真が展示され、「よく手伝いする」「多くの友だちと遊ぶ」「兄弟の世話をする」「学校でたのしく勉強する」と書かれているなかに、「バリ島はWHO(世界保健機関)の調査で、世界で一番精神病の少ない地域」と紹介してあった。当時、この前年家庭内暴力、登校拒否、情緒障害児の治療を標榜する戸塚ヨットスクールが開設され脚光を浴びていた。それだけにバリ島との縁結びを思い立ち、今はバリ島との行ったり来たりの生活を楽しんでいる。